◎夢の話 第791夜 扉を開け
二十三日の午前三時に観た夢です。
ローカル線の電車を降りると、ターミナル駅だった。
「こりゃ時々、夢に観る駅と同じだ」
ここは大きな駅で十本くらいの路線が入る。
かつての上野駅にも似ているし、池袋や新宿にも似たところがある。
「俺はまた夢の世界にいるのか」
夢を観ている時に、「自分は夢の中にいる」と自覚する時があるが、これもそんな状況だった。
「改札を一旦出てから乗り換えるんだったな」
入り組んだ構内をあちこち歩き、小さな改札を出た。
次にすぐ近くの私鉄の改札に向かう。
「ありゃ小銭が無いぞ」
小銭どころか、俺は財布を持っていなかった。
改札口では、駅員が鋏をカチンカチンと鳴らしている。
今はまだカードが使えない時代らしい。
「参ったな」
少し困ったが、しかしすぐに思い出した。
いつもと同じなら、別に小銭を持参しなくとも良いのだった。
階段を上がり、駅の出入り口のステップの脇に目を向けると、そこに小銭がじゃらじゃら落ちていた。
何故か、この世界では、ここで切符を買うためにお金を取り出す時に、小銭を落とす。
そして、自身が落としたことに気付かない。
他の者はいくら硬貨が落ちていても、誰も拾わない。
おそらく、目に入らないのだ。
「三途の川」と似たところがある。死ぬとその川を渡るが、それまで抱えていた欲心をそこで放り棄てるから、川淵には金銀財宝が落ちている。
ステップの脇には小銭が落ちているし、改札口の内側には札がバラバラと散らばっている。
俺はそこで五百円玉と百円玉を何枚か拾い、もう一度階段を下りた。
券売機の前まで来たが、行き先までいくらなのかが分からない。
もう長い間、電車に乗っていないのだった。
路線図を見上げ、値段を調べる。たぶん、百八十円だな。
そこで券売機に五百円玉を入れたが、ボタンにランプが点かなかった。
「おかしいな」
あちこち押してみるが、まったく点かない。
すると脇から、男が口を入れて来た。
「何やってんの。遅くなるだろ」
三十歳くらいの男で、隣に若くてブサイクな女を連れている。
「※※◇▼〇で×●やで」
早口で何を言っているのか分からないが、要するに俺を罵っているらしい。
「そりゃ済まなかったね」
言葉では謝っているようだが、俺はその男の目を見据えていたから、態度はそうではない。すると男が文句を言った。
「※※◇▼〇で×●!!!」
夢の中の俺は関西弁が嫌いで、おまけに関東言葉も嫌いだった。
要するに「人間嫌い」ということだ。
無視していると、男は「※※◇▼〇」と俺を罵りながら、去ろうとする。
すると、その時、俺の頭の中で声が響いた。
「さあ、今だ。『扉』を開けて俺を解き放ってくれ。俺がお前の代わりにアイツを殺してやるから。早くあの言葉を言え」
「え」
その声は俺の頭の中で聞こえているのだが、俺自身の声ではなかった。
「確かに、俺が駅を嫌うのは、あの手の輩が沢山いるからだ。都会には得手勝手なヤツがやたら多い」
そして、俺はすぐにああいうのを呪ってしまうのだ。
「ほれ。『二十日以内に死ね』と言えば良いんだよ。そしたら、俺があの男に取り憑いて、お前のためにあの男を殺してやる。お駄賃は、隣のブスや、男の取り巻きの命だ。そっちは俺が貰う」
え。多少乱暴な物言いをしたからって、数十人も命を落とすことになるのか。
さすがに、それじゃあ、やり過ぎじゃないのか。
「でも、お前はやり方を知っている。『扉』を開いて、俺を外に解き放てばいいのだからな。たったそれだけだ。お前には何の責任もない」
遠ざかる男女の姿がまだ見えている。
すると、もう一度声が響いた。
「こんなのはただの妄想で、お前の咄嗟の願いがこの声になっているだけだろ。大体、この世に呪いなんかありはしないさ。誰でも『こんなヤツ。死ねばいいのに』と思うことはあるだろ。だが、その通りになるわけがない。安心して早く願え」
「昔、乱暴な運転をする車に『お前なんか事故って死ね』と声に出したことがある。すると二十キロも行かぬうちにそいつが事故を起こし、高速路から飛び出ていた。それ以来、俺は他人を呪ったりするのは止めたんだよ」
すると、男は「ククク」と笑った。
「そりゃないだろ。人間なんだから、必ず他人に悪意を抱くもんだよ」
ま、その通り。インスタで「美味しそうな料理を食べました」みたいな動画を観ただけで、ひとは「自慢しやがって」と腹を立てる。
ひとの本性は独りよがりで、常に「悪心」を抱えているのだ。
そこを行くと、幽霊の方がはるかに「善」に近い。幽霊は「魂胆」を持たないからな。
ここで男は高らかに言い放つ。
「それに、お前には選択肢は無い。お前はもう忘れているだろうが、これは過去の出来事だからな。お前はあの時、あの男女を呪い、そしてそのすぐ後に実際に幾人もが死んだ。お前はそれをすっかり忘れている」
ぼんやりと記憶が蘇る。
そう言えば、俺は咄嗟に「すぐに死ね」と念じたような気がする。
その後、数十分も経たぬうちに、あの列車事故が起きたのだった。
ここで覚醒。
悪霊は自身では何もしないが、ひとの悪心を「背中から押す」。
それで自身の悪心の通りに振る舞うと、何時の間にか扉が開き、その悪霊と同化している。ホラー映画や小説とは手口がまったく違い、本人の意思に任せるところがポイントだ。
それが「悪霊は、自ら招き入れぬ限り、入っては来ない」ということの意味だ。
霊は取り憑いたりなどせず、その相手が自ら深みに飛び込むのを待っている。