◎病院にて
心臓の主治医の許を訪れ、今後の治療の筋道について相談した。
医師の年恰好が同じくらいなので、大体はきわどい冗談に始まり冗談に終わるのだが、さすがに今回は真剣だ。
「親を大腸癌で亡くしているので、俺の番が来たかと」
すると、医師は笑って、「まだはっきりしていないでしょ」と言う。
「赤黒い下血があったら、なんとも言えないけれど、潜血反応くらいなら、内臓のどの部分からでもあるからね。検査はどこでやっても同じだから、手術が必要だという診断が出たら、こっちに来て下さい。きちんと調べますから」
なんとなく「ほっとする」のは、俺が弱っているからだ。
今は明らかにお腹に異常(腹痛)があるし、出血自体、二度目だ。
しかし、ここは「呪い師のメソッド」で、困っているところをピンポイントで励まされるだけで、相談者はその人を信用する。
「占い師」や「霊能者」は、皆、このレトリックを使っている。
ひとは皆、「自分の欲しい答え」を言ってくれる人に会うと、その人を信用するし、聖人のごとく見なす。だから、「占い師」「霊能者」を自称して、相手の問題を見透かして道をつければ、ひとは簡単に言いなりになる。
「もし大腸癌なら、どこの病院でも、外科医は大喜びするよ」
おいおい。正直過ぎねーか(苦笑)。
大腸癌の切除手術なら、外科医の腕の見せ所だし、一件三百万から五百万くらいの仕事にはなる。あるいはそれ以上。
「でもま、大きな病院の方が経験値が高いですね。概論だけど」
コイツは俺にそっくりで、常に本音を語る。ま、患者が俺のような「やさぐれ者」だからなのだろうけど。
「ところで、患者は医者に診て貰えるけど、お医者さんは自分の健康診断はどうしてるんですか?」
「ははは。全然調べてないですね。紺屋の白袴」
ま、医師には社員健診すら無いものな。
「自分の仲間に診て貰うのは何だし、何となく体裁が悪いってとこですか」
「そんなとこ」
結局、やっぱりいつも通り無駄話になってしまった。
この医師の「俺が診たるで」という言葉も、よく考えると、「手術中に心臓がパンクして突然死しないように、心臓のチェックをしてやるぜ」という意味だから、大腸癌とはまったく関係ない。
だって、そっちは専門外だものな!!!
ま、それでも、「まだ大腸癌と決まったわけじゃない」と思えるから、人は現金なものだ。
これまでの経験では、何事も「甘くは無い」と知ってはいるが、数日くらいは考えさせずに居て欲しいもんだ。
いずれにせよ、日頃通っている病院で検査をして、いよいよとなったらコイツの人脈で何とか。
話をしながら、昔のことを思い出した。
高校三年の時、進路指導で担任、父、俺の三人で会った。
担任はタカノという先生だったが、先生と父は、ほとんど最初から最後まで釣りの話をしていた。「磯釣りではどーの」と針や餌の話まで詳細にだ。
結局、予定の時間をかなり過ぎてから、「では進路はどうします?」「息子のやりたいように」という会話だけで終わった。進路の話は1分かそこらじゃね?
話を盛っているわけではなく、あの先生を知る者は「ああ。そんな先生だったよな」と思う筈だ。その後、先生は海辺の民宿の親仁になったと聞くから、筋金の入った釣り師だったということだ。
そういう生き方は、もちろん、俺が最も好むところだ。
先生はとっくの昔に亡くなったが、大人になってから話をすれば、道楽話で盛り上がったと思う。もちろん、大半が失敗談だ。
とまあ、俺の主治医に会うと、いつもこのタカノ先生のことを思い出す。
教訓は、下血、とりわけ赤黒い血が出たら、すぐに病院に走る必要があるということ。この段階からなら、もはや状況はかなり厳しい。
俺の母はトイレットペーパーに血が滲んでいるのに気がついて病院に行ったが、既にステージ3だった。なるべく、そうなる前に発見する必要がある。
定期健診では何も分らないから、中高年は時々、がん検診を受ける必要があるということ。
画像は旧病院の裏。今は離れた場所に移転しているが、駐車場が一杯になるので、こっちの廃病院の駐車場まで停めに行く。病院の窓のひとつから、白衣の男(医師)をこっちを見ている。ここは閉鎖されており誰もいない筈なんだが。