



◎指針は得られず(446)
月曜の午後に外出しようとして、家人に声を掛けた。家人はこの日休日だ。
「N湖に行って来るが、行く?」
家人は「いつも同じところだから嫌」と言う。
ま、訪問の意味が違うから致し方なし。ダンナの方は自身の変化を確かめるのが目的だから、決まったルーティーンを辿らねば意味が無い。
一人で出掛けることにした。
しかし、N湖の入り口が閉まっていた。
夜は諸事情により中に入れないから、ゲートが閉まっているのだが、それを開け忘れているのだろう。
脇から入れそうだったが、やはりこういう時に、私のような者は近寄らぬ方がよい。
そこで引き返した。
ここも人為的に出来た霊場で、幾度も書いたが、北側の岸辺近くでは、私には「声」が聞こえる。
普通に話し声が聞こえるので、向こう岸の人の声だと思ったりもしたが、しかし、湖面の反響効果があったとしても、五百㍍先の小声が届くかどうか。
かなり後になり気付いたが、あの岸辺は「仏」が上がった時に、ボートから降ろす場所だった。
そこからいつもの神社に向かう。
「何かしら示唆が欲しい」と思うが、この日も曇り。
私自身が写らないので、周囲の状況を知るのは難しい。
境内では、隣国の観光客が何か叫んでいた。
社務所から叫びながら出て来たところを見ると、何か意に沿わぬことがあったらしい。別の人が宥めようとしているが、しばらく喚いていた。
ここは神域だから、静寂が必要だ。振る舞いには気をつけて欲しいと思う。この場の決まりに従うことが重要だ。
観光地ではないのだから、気をつけて欲しい。
この日、この先の生きる指針は得られなかったが、これからも粛々と前に進むしかない。