日刊早坂ノボル新聞

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◎救済はすぐそばにある(22日の画像)

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1月22日撮影

◎救済はすぐそばにある(22日の画像)

 この女性は私のことをガン見している。

 ま、いつも暗闇の中にいるのに、見えるヤツが来たから「コイツは何?」と驚いているようだ。

 死者のうち、不慮の事故や事件が原因で、死を予期できず亡くなった者は、自我が目覚めるまで、長く暗闇の中にいることが多い。生きている者の時間では十年以上かかるようだ。

 自死(自殺)すると、死後に自我が目覚めても、死に間際の煩悶を抱えたままだから、その闇の中で苦しみ続ける。

 この女性はそういう暗闇の中にいたが、近くを私(の煙玉)が通ったので、こっちを向いた。

 私の方も常に幽界の状況に気を付けているので、そこで双方に接点が生じた。

 「そろそろ苦しむのにも飽きたでしょ。抱えている重荷を下ろせば楽になるよ」

 そのひと言で、妄執に囚われている自分の姿に気づく。

 幽界では、心はかたちになって表れるので、ドロドロの自殺者の表情が、さあっと本来の顔に戻る。

 昨日、最後の方で示した「首吊り」自殺者の「首だけの画像」は、実は最初に撮ったものだから、わずか数分のうちに、本来の顔に戻ったことになる。

 これですぐさま寛解(仏教でいう成仏)出来るわけではないと思うが、いずれ執着心を完全に解き放つことが出来るようになると思う。

 

 フェイクなしの現実でこういうことが起きており、「ホラー映画よりも恐ろしい事態」なのだが、「決まり」を守ればどうということもない。

 私が「相手にとって必要な存在」だということは、すなわち「こちら側に主導権がある」ということだ。

 

 ところで、左肩に載っているネズミのようなのは、やはり手だった。指が見えている。

 幽霊にとっては、私の出す煙玉が「希望の光」だから、すがりつくのも当たり前だと思う。

 これまで、何百回も「亡者の群れに追い駆けられる」夢を観てきたが、すなわちこういうことだった。

 かつて、霊感教会のOさんが「神霊体だ」と言った意味が、今にしてよく分かる。

 なお「神霊体」は「特別な存在」として言ったわけではなく、あの世と「繋がりが生じやすい」という意味なので、念のため。

 一般に誤用悪用されているが、霊感は特別な能力ではなく、ただの視聴覚力と想像や妄想だ。総ての人間は同じように「ごく普通の人」ということ。