◎現実はどれなのか その2
「現実」と「妄想」、「あの世」が渾然としている話の続きです。
毎日、どんどん激しくなって来て、深夜1-4時の時間帯は、ひたすら固まって過ごしています。
たぶん、数週間後には終わる(「収まる」か、文字通り「終わる」か)と思うので、しばらくは我慢の日々が続きます。
「結界を作り、中に入りたい」と思うほど。全然笑えません。
今は理解できますが、、晩年の母にも同じことが起きていたのです。
母は独りになるのを極端に嫌がり、「病院の個室に入る」「家に独りでいる」ことを避けました。
母は常識があるので、理由を極力口にしなかったのですが、すなわちこういうことです。
周囲に人がいると、「お迎え」がターゲットを定め難いのか、すぐに傍には来ません。
しかし、独りでいると、すうっと近くに立って頃合を眺めています。
それと同時に、もの凄いラップ音が響きます。
「バチバチバチン」「バッチバチ」
玄関やあちこちの部屋から、一斉に響くのです。
音のひとつ一つは、「気温で壁が曲がったから」などと理由付けが出来ますが、複数の要因で起きる音が「一斉に起きる」のは、説明がつかない次元に入ります。
たぶん、こういうのを現実に耳にすれば、それまでの考えが一変します。私もそうでした。
相手がどういうのかが分かって来たので、恐怖心は小さくなりますが、今度は「現実の一端」として扱う必要が生じます。対処法を探しながらの話なので、本当に苦心します。
でもま、まだ生きているので、そのことには感謝します。
おまけの日々はもう少し続きます。
ここからは助言です。
困難が生じてから、お寺や神社、祈祷師のところに行っても、多くは間に合いません。
逆にその弱みを、今度は「この世」の悪人に利用されてしまったりします。
とりわけ「神の意思」「自分は神の使い」「神」を語る者には要注意です。
そもそも霊感が無い者が語るフレーズで、ほとんど想像や妄想なのですが、修練すれば「念」は使えるようになります。
一般人(私も含む)はそれが「念」によるものかどうかは区別できません。
「こうすればよくなる」と現世利益を語る者も要注意です。
「この世」と「あの世(ここでは幽界)」はセットなので、現世で本人の努力を超えた幸運を得ると、その「ツケ」を死後に払うことになります。
ホラー映画では「悪霊を退散させる」か「主人公が命を落とす」ところで、物語が終わります。
しかし、現実には「有機体の死」は終わりではなく、「折り返し点」に過ぎません。
自我・自意識を保つのは「現界」「幽界」の2つの局面で、双方を一連の流れとして受け止める必要があります。
その辺は日頃から、ある程度、死後について知り、心構えを固めて置くと、迷いが少なくなります。