ニ)「本銭C」
多くの収集家はその品が「どこから出たか」に気を払わない。入札やオークションで買う分には、そういう情報を教えてくれないからだが、実は「出自」(その品本来の氏素性)を知る上でそれは重要な情報のひとつとなる。
「本銭C」の地金色を見ると、これが「どこから出たか」は一目瞭然だ。
これは花巻のO氏が一戸の旧家から買い受けた百枚前後の当百銭から出た品である。
その家はかつてはこの地域の有力な商人で、酒屋もやっていたらしい。
上の行で「から出た」と書いたが、実際には、その総てが未使用の南部天保で大字と中字が大半だった。
多くが少し小型で、輪測には変形桐極印が打たれている。この型は、大字母銭の次鋳黄銅母から作られているので、私は「次鋳銭」と呼んでいる。その意味は「次に作られた」ということではなく、「次鋳母から作られた」ということである。
また、「小型」の品が大半だったのだが、幾らかは中型大型も混じっていたようで、O氏はそれらを取り置いていたらしい。その一部が関西から戻って来ているので、おそらく故H氏に譲り渡したのだろう。
かつての山内座に物資を供給したのは、主に一戸商人だったこと。
一戸には、密銭を指揮した楢山佐渡の領地があったこと。
この銭群は、こういう文字記録を裏付ける物証となっている。
もう一つ重要なことは、昭和50年代以降に、いわゆる「称浄法寺銭」が発見されたのだが、この大字中字の特徴と同じ特徴を持つ品がこの次鋳銭から見つかっていることである。
要するに、称浄法寺銭は、山内座次鋳銭の数枚から素材を取り、これを母銭に改造して鋳造したものだということになる。
ホ)中間種
この場合の「中間種」とは「山内次鋳銭」と「称浄法寺銭」のちょうど中間にある仕様であるという意になる。
その意味で⑦は非常に重要な一枚である。
型自体は「称浄法寺銭」の特徴を備えているのだが、この品は、この型の中で唯一、「東北地方の外で、流通銭の中から発見された品」となっている。具体的には大阪で、雑銭中に混じっていた。
要するにこの銭群には、「実際に使用されたものが存在する」ということだ。
型が称浄法寺銭で砂目も粗くよく似ているが、しかし、極印をよく見ると、称浄法寺銭の異極印と同一ではないように見える。
そうなると、「山内座次鋳銭のうち称浄法寺銭と共通の特徴を持つ品」か、「称浄法寺銭で実際に貨幣として使われた品」のいずれかということになる。
同種の発見を待っていたが、どうやら他地域の流通済み銭はこの1枚きりのようである。
さて、⑧は「称浄法寺銭」の「本座長郭写し」で「仕立て銭」である。
称浄法寺銭の制作技法は大別して四種類で、「(完全)仕立て」「半仕立て」「鋳放しA」「鋳放しB」となる。これらは砂目や鑢目が歴然と違うので、おそらく各々を別の職人が作っていると見られる。
このうち「仕立て銭」についても、幾通りかの仕上げ方があるのだが、そのうちこの系統の品は、山内座本銭のそれと変わりない。
要するに製造時期がかなり古いということだ。
このことは輪測の鑢痕(線条痕)を見れば分かる。
なお、⑦のみ鑢痕が見えずつるんとしているようだが、流通により摩耗したためである。