日刊早坂ノボル新聞

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◎「密鋳当百改造母銭」  謎解きのゲーム その4

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称浄法寺銭の「半仕立て」と「鋳放し」

ヘ)半仕立て

 「半仕立て」は「称浄法寺銭」群の中の途中まで仕上げた段階のものを指す。

 多くは穿内の処理が非常に軽い。一方向のみ刀が入っている場合があるが、いずれも棹を通した痕跡がない。一枚ずつ、必要最低限の処理をしたということで、ごく普通の板状の砥石に一枚ずつ手で掛けたのではないかと目される。

 輪測には肌理の細かい線条痕が見られ、明らかに仕立て銭の多くとは工程そのものが違っている。

 ⑨の中字、➉の小字とも「穿内処理が軽微である」点は同じだが、金質や砂目は若干異なっている。配合が若干違うということである。

 

ホ)鋳放し

 「鋳放し」は「称浄法寺銭」群の中の「仕上げをほとんど施していない」ものを指す。

 「鋳放しA」は、正確にはまったく処理していないわけではなく、面背のみ軽く研いであるもの、また「鋳放しB」は仕上げ処理の形跡が見られないものである。

 称浄法寺銭の当百銭は、発見当初、その大半が「半仕立て」と「鋳放しA」だった。

 秋田の二氏、岩手のO氏、S氏、K氏らが個別に浄法寺に呼ばれて買い受けたわけだが、これが70年代末のことになる。「鋳放しB」は、このルートではなく、二千年前後以降、主に隣県から出ている。要するに「鋳放しA」と「鋳放しB」は「出自そのものが異なる」と見るのが妥当だろう。

 

 さて、⑪⑫とも「鋳放しA」の処理方法に拠っているが、⑫は「鋳放し銭の面背を鋳浚い、砥石を掛けた」ものである。そうなると、「未仕上げ銭を仕上げたもの」だから、通常は「仕上げ銭」と表記したいところであるが、工法が特異なのでこうとしか表現できない。

 ⑫は面背輪測とも砥石で磨き、谷の部分を金属のへらで滑らかにしようとしている。

 鋳浚い手法は、通常、砂抜けをよくする目的で施されるのだが、当品はそのような目的ではなく、単に「通用銭として見栄えをよくするため」の処理を考えて行ったものだろう。

 前述の「中間種」の「仕上げ」銭群と、「半仕上げ」「鋳放し」銭群を隔てる決定的な違いは、前者が「一定枚数を同時に処理した」、後者は「鋳造から仕上げに至るまで、総て1枚ずつ処理している」という点である。

 要するに、前後者は、製造工程の上で、装置も工法もまったく異なる。