日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎梅は六分咲き(481)

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2月21日撮影

◎梅は六分咲き(481)

 今年は昨年より割と調子が良くて、たまに発作が起きこそすれ、それほど死期を近くに感じない。そのせいもあってか、お寺や神社に参詣参拝する頻度が減っている。

 そこはそれ、「喉元過ぎれば」で、差し迫った危機が見えないと、すぐにその存在を忘れてしまう怠惰な性格のせいだ。

 しかし、昨日の朝、心臓を鷲掴みにされたので、さすがに我に返った。

 「こりゃきちんとお参りに来いという意味だな」

 そこで、息子を駅まで送った帰りに、神社に行くことにした。

 

 晴れて気持ちのよい日で、それだけで清々しい気分になる。

 午前中だし、そうそう異変は起きぬ筈だ。

 実際、写真を撮っても、私の周りにさしたるものは出なかった。

 何もない平凡な一日ほど、幸せなものはない。

 

 帰宅して、画像を丁寧に検分すると、少しは出ていたのかもしれん。

 しかし、あまりはっきりせず、これなら「気のせい」だろうと思う。

 黒いコートの女性(左側)は、いつぞや首が長く伸びていた女性と似ているのだが、何ら心に響くものもないし、「たまたまそう見えた」だけではないか。

 そうあって欲しい。

 この女に呼びつけられたりはしていませんようにと願いたい。

 あの手のヤツは、いざ見込まれると、結構やっかいだ。

 でもま、仮にそうでも、首が縮んでいるから、少しはましな状況に戻って来たのかもしれん。でも、心臓を鷲掴みにするのは止めろよな。

 

 ある知人に親御さんのご供養を頼まれたが、今は思案中だ。

 純然たるご供養で、家とお墓を清めるだけ。さしたる問題は無いと思うが、そうでなくとも私はあれこれ引き寄せるので、後が大変だったりする。

 でもま、「祓う」のではなく「ご供養」だから、家族としての心構えを伝えればそれで大丈夫だと思う。

 人事の問題解決を他人にして貰おうとする人がいるが、そういうのは自分自身の努力で切り開くものだと思う。

 神や仏は手を出して助けてくれたりはしない。そう見せかけるのは悪い方のヤツだ。

 

 いずれにせよ、お彼岸が近づく前に返事をする必要がありそうだ。