◎かたちが歪む理由(622)
二十九日が今月の引き落とし日で、何とか今月も越えられそう。
コロナ以後はやりくりが大変だ。
ひとまず朝一番で金融機関に行き、見落としが無いかどうかを確認した。
朝からため息。
その後、ひとまずいつもの神社に参拝した。
午前中のまだ早めの時間帯なので、参拝客は疎らだ。
また、この時間なら気楽に参拝出来る。異変が起きると、やはり良い気分ではないので、時間帯をずらすのは正解だと思う。
神殿の前で撮影すると、当初は私の右脚が消えているように見えた。
しかし、連写した次の画像を見ると、どうやら陰影のコントラストが強かったので、消えたようにみえた模様。さしたる問題はない。
ま、所々でかたちが歪んでいるが、大きなことではない。
境内から下がろうとした時に、このところ頻繁に母の夢を観ることを思い出した。
そこで、六地蔵でお焼香をすることにした。
飯能の観音寺では、何か催し物があるのか駐車場がほぼ一杯だった。
法事でもあったのか。
ひとまずお地蔵さまでお焼香をした。
お不動さまにも寄ろうと思ったのだが、能仁寺の方は車を入れられぬほど混雑していた。
寺社は何か節目の日なのだろう。
帰路、買い物のため、産直(兼日帰り温泉)に立ち寄る。
何気なくガラス窓の前を通った時に、数年前のことを思い出した。
ここでは老人が顔を出したので、数か月間、ご供養をしていた。
カメラを向けたが、しかし、帰宅しようとしているところなので、声に出して言った。
「もう家に帰るから顔を出すのは止めてくれよ。出されると、また最初からやり直しになる」
お寺に逆戻り。
まだ午前中ということもあり、別段、声も響かなかったが、右脚のところに子どもがいたようだ。
「なるほど。今日一日、右脚のかたちが歪んでいたのはこのせいか」
隣には母親のような女がいるような気がするが、はっきりしない。
それと姿は見せぬが、別の女がついて来たと思う。
脚の数か所に「手」が掴まっている感触がある。
もちろん、さしたる差しさわりは無いから、「気のせい」と見なしても良い。
ご供養・参拝を繰り返しているうちに、離れて行くと思う。