日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎かたちが歪む理由(622)

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令和三年十一月二十九日撮影

◎かたちが歪む理由(622)

 二十九日が今月の引き落とし日で、何とか今月も越えられそう。

 コロナ以後はやりくりが大変だ。

 ひとまず朝一番で金融機関に行き、見落としが無いかどうかを確認した。

 朝からため息。

 

 その後、ひとまずいつもの神社に参拝した。

 午前中のまだ早めの時間帯なので、参拝客は疎らだ。

 また、この時間なら気楽に参拝出来る。異変が起きると、やはり良い気分ではないので、時間帯をずらすのは正解だと思う。

 神殿の前で撮影すると、当初は私の右脚が消えているように見えた。

 しかし、連写した次の画像を見ると、どうやら陰影のコントラストが強かったので、消えたようにみえた模様。さしたる問題はない。

 ま、所々でかたちが歪んでいるが、大きなことではない。

 

 境内から下がろうとした時に、このところ頻繁に母の夢を観ることを思い出した。

 そこで、六地蔵でお焼香をすることにした。

 飯能の観音寺では、何か催し物があるのか駐車場がほぼ一杯だった。

 法事でもあったのか。

 ひとまずお地蔵さまでお焼香をした。

 お不動さまにも寄ろうと思ったのだが、能仁寺の方は車を入れられぬほど混雑していた。

 寺社は何か節目の日なのだろう。

 

 帰路、買い物のため、産直(兼日帰り温泉)に立ち寄る。

 何気なくガラス窓の前を通った時に、数年前のことを思い出した。

 ここでは老人が顔を出したので、数か月間、ご供養をしていた。

 カメラを向けたが、しかし、帰宅しようとしているところなので、声に出して言った。

 「もう家に帰るから顔を出すのは止めてくれよ。出されると、また最初からやり直しになる」

 お寺に逆戻り。

 

 まだ午前中ということもあり、別段、声も響かなかったが、右脚のところに子どもがいたようだ。

 「なるほど。今日一日、右脚のかたちが歪んでいたのはこのせいか」

 隣には母親のような女がいるような気がするが、はっきりしない。

 それと姿は見せぬが、別の女がついて来たと思う。

 脚の数か所に「手」が掴まっている感触がある。

 もちろん、さしたる差しさわりは無いから、「気のせい」と見なしても良い。

 ご供養・参拝を繰り返しているうちに、離れて行くと思う。