![f:id:seiichiconan:20200222053540j:plain f:id:seiichiconan:20200222053540j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/seiichiconan/20200222/20200222053540.jpg)
![f:id:seiichiconan:20200222053528j:plain f:id:seiichiconan:20200222053528j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/seiichiconan/20200222/20200222053528.jpg)
![f:id:seiichiconan:20200222053514j:plain f:id:seiichiconan:20200222053514j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/seiichiconan/20200222/20200222053514.jpg)
◎舌千類の思い出
舌千大字無背は花巻の古銭会で、南部コインズO氏がぱっと出して、「はい。舌千大字の無背だよ」と「盆回し」にかけた品だ。
製作が八戸だし、書体は大字。無背は銭譜に載っていない。
見ると後ろには刮去痕がある。
「何を迷うことがあるのか」とすぐさま手を上げた。
ところが、その後、幾つかの場所で見せると、皆が首を捻る。
「大字はドコソレに窪みがあるのだが」
複数に言われると、自信が無くなって来る。
しかし、収集家は過去の銭譜でしか物を考えられない人種なので、「ただ銭譜に載っていないことが不安なのだろう」とも思った。
実際、八戸銭を研究し、それに精通している人はいないし、話題にすら上らない。
結局は、時々、O氏と「夜の古銭会」で話すだけだった。
改めて見直すと、最初の直感通り、「何を迷うことがあるのか」という品物だった。
・製作は八戸銭
・書体は舌千大字および十字銭の系統
・裏に刮去痕があるが、これが大字で舌になっている。
作り方がヘタクソで、砂も悪いから、小異は各所にある。
もし見立て違いで、「十字銭無背」だったとすると、さらに一段上の「初見品」となる。舌千大字の無背銭は、わずかに記録に残っているが、「十字銭無背」はどこにも無い。要するに「負けの無い戦」ということ。
これを見て、首を捻った収集家たちは単に「目が利かなかった」だけのことだった。
ま、そもそも珍品探査だけの人たちだ。
ともかく、改めて八戸銭を眺めると、本当に面白い。
とりわけ鉄銭のバリエーションときたら、あきれるくらい多種多様にある。
「最初からここに分け入れば良かった」と後悔するが、ま、何事もそんなもんだ。
ここは「分類」や「珍品探査」では太刀打ちできないジャンルだから、たぶん、二十年、三十年では埒があかないだろうと思う。
鉄銭を検分するのは本当にしんどい。
ちなみに、O氏が「八戸を買ってみる?」と言うので、「はい」と答えたら、翌週に渡されたのが160枚の背千の仿鋳母銭だった。枚単価5千円だからとりあえず80万の出費だ。
舌千類などめぼしい品の無い仿鋳銭ばかりだから(概ね拾われてある)、処置に困り、雑銭に混ぜて売ったりした。結局、三百枚前後の母銭や銅銭を購入したが、「見すぼらしい」という理由で大半を処分してしまった。
しかし、「見すぼらしい」のは、仿鋳銭ではなく、自分の頭の方だった。
放棄した「見栄えの悪い」品の方に「歴史の真実」があったのだ。
多くは藤八銭(目寛見寛座)やその他の小さい密鋳銭座のものだったのだろう。
三百枚あれば、変化の過程を順を追って説明できたのに、今さらながら情けない。
八戸銭を説明した「最初の一人」になれる可能性があったわけだ。
だが、私の持ち分は品物ではなく「ひとの心」の方だ。もはや残りの日々は多くないのだから、専ら「こころ」を記すことに時間を費やそうと思う。