日刊早坂ノボル新聞

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◎盛岡藩 会所札

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盛岡藩 「御会所」札

盛岡藩 会所札

 郷土史の資料については、「どこでどうやって見つかったのか」を知ること自体が検証作業のひとつになる。焼き物などでは「箱書き」を補足資料として重視するが、それと同様に、「どの場所の」「何時の時代の」が分かってこそ、資料としての意味が生まれる。出土品の場合が顕著で、どこのどの場所で出たものかがはっきりしないと資料として認められない。

 その意味では、どこの誰が出したかもしれぬ文書をオークションで買うなどというのは愚の骨頂だ。発見時の状況が分からないのでは、理解の足しにはならないからだ。

 やはり、歴史に係る資料は足を使って現地に行き、蔵を開けて観察することが重要だと心底より思う。

 

 しかし、そんなことを言っていられない時もある。

 たまたまこれを見つけたのは、古紙・古文書のジャンルの中でだった。

 紙に書かれている「御会所」「佐比内」「盛岡藩」という文字を見て、すぐに購入することに決めた。

 「クズ紙」としては、割と値が高かったように記憶しているが、盛岡藩の佐比内と言えば、古くは金山、銅山があった場所で、幕末明治初めには高炉が建設された土地でもある。

 そこに関連した「会所」の札と言えば、かなり面白い資料となる。

 

 ところが、月日の記載はあるが、肝心な「年」が書かれていない。

 「子三月」とか「寅八月」とあれば、概ねどの時代のものかを計ることが出来る。

 しかし、それが無いので、いずれかの会所が出した上納切手等だということまでしか分からない。年貢米の記述があるところを見ると、おそらく米会所なのだろう。

  米会所ならある程度所在地を特定でき、かつ佐比内の近く。分かりそうなものだが、しかし、「状況」が分からぬと、結局そこまでしか調べられない。

 同様のものが見つかれば、比較することで推測も出来ようが、幾ら検索してもどこからも出て来ない。

 

 さらに困ったことには、「そろそろ足を洗おう」と思い、コレクションを処分しようとしているのだが、この手の品には相場が無く、値段が付けられないという難点があることだ。市場での取引事例が無いので、適切な価格を調べようがないのだ。

 自身が入手した価格は既に忘れているし、安値で出せば誰も価値が分からぬので、多分そのまま落ちてしまう。

 あるいは、博物館に寄贈しようかとも思うが、博物館だって発見地が分からない品を展示するわけには行かないだろうと思う。

 ちなみに、入手時に目論んだのは、「佐比内高炉の会所札であって欲しい」ということだ。もしそれなら、ひとつの「お宝」であることは疑いないからだ。