日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 「花巻商人の私札と準公札」

花巻四日町井筒屋源平衛の預切手と花巻川口町会所札

◎古貨幣迷宮事件簿 「花巻商人の私札と準公札」

 今年は一月から体調不良が続き、さすがに「今回ばかりは乗り越えられない」と思ったので、収集品を総て売却に供することと決心した。もちろん、検討が必要な品も多いから、所蔵品の自慢のためでなく解明のために使う人に渡すのが望ましい。そこで、あえて古貨幣とは関係のない自社ウェブを媒体に使うことにした。

 そうなると最後に残るのは愛着のある品だ。

 このところ花巻商人関係の古札を掲示して来たが、いずれも何年か前に一括で入手した品だ。だが、画像を見ても何のことか分からない。希少品とされ、藩札のテキスト本である『藩札図録』に掲載されている品もあったが、ほとんどが見たことのない札だった。

 見たことがないから、値段も振れない。

 だが、私が目に留めたのは花巻四日町の井筒屋札だ。

C1001 花巻四日町 井筒屋源平衛 銭五百文預

 商家で育ったので、正確でなくとも段取りは分かる。

1)最初に番頭か手代が墨書きを記す。

2)出納係の番頭・手代が、店判①と②を押す。

3)大番頭が店判③を押す。

4)主人の親族(兄弟など)が了承印イを押す。

5)最後に主人(かその代理)が了承印ロを押す。

6)割印があるので、正副二枚を作成し、一枚を相手側、もう一枚を店が保管する。

 預かり切手なので、後日清算が必要になるが、その時の確認用だ。

 正確には店によって違うわけだが、確認手順が多段階に渡っている。

 これは店のシステムがきっちりしており、経営が確立されていることを示す。

 商人の振り出す証書としては、形式が整っている。

 まずは鳥谷ヶ崎城下(花巻)にこのような商人がいたこと自体が驚きだ。

 花巻は盛岡藩領内の一地方なのだが、鳥谷ヶ崎城は諸城破却令から免れ、幕末まで城下町を保った。

 商業活動も盛んだったはずだが、ほとんど資料らしい資料が残っていない。

 どこにどのような商人がいたかという分かりそうなことすら、ほとんど掴めぬのだ。

 「御用金番付」を探したりもしたが、盛岡城下以外はあまり残っていないようだ。

 また市場にこの札が出た形跡はなし。初見品で、存在が確認されたのも今回が初めてになる。

 その時に考えたのはこれ。

 「では、黒木萬十郎出店札と引き比べた時にこれをどう評価すべきだろう?」

 

C1002 C1003 花巻川口町会所札 銭五百文、銭壱貫文

 この札も過去に記録がなく、事実上、この時の2セットが今の現存数になると思われる。

 オークション当時は「川口町」が何かがまるで分からず、盛岡藩で手繰ったが、該当するのが「花巻川口町」しかない。周囲も花巻商人の品ばかりだから、この地のものとみて間違いは無さそう。

 花巻川口町が商人町だったことは記録に残っているが、ここに会所があったことは地元の人も知らない。恐らく商人の団体・組織で、商法会所のような枠割を果たしていたと思われるが、会所として銭札を発行していたのは、まったく記録にないようだ。

 どこにも記録がないということは、買う側の入れた最高値がその品の価格になる。

 さて、値をどう振ればよいのか?

 この時に考えたことはこれ。

 「仙人鉄鉱山会所札と比べて、この札をどう評価すべきだろう?」

 

 答えは簡単だった。

 その時の答えは「八十までは無条件に追い駆けよう。その先もまあ百まで位なら考えよう」ということ。

 実際は百の半分弱で落札したが、誰も持っていない品を入手するつもりなら、高いも安もない。少なくとも資料価値は充分なのだから、持たぬ者に四の五の言われようがない。

 時が経ち、事情が変わって、コロナ下では博物館に収める筈の品が収められず、手元に残った。しかも既に先は短い。

 もし売却するなら、今度は売る価格を設定しなくてはならぬが、これは買う時とは違う。受け継ぐ者が受け入れられる相場を設定する必要があるからだ。

 釈然とせぬまま、ひと月が経ったが、そろそろまだ手元に置くか、手放すかの選択をする時期が来ている。

 

 全然話は替わるが、収集界では四十歳くらいが「若手」になる。

 その下の年齢層が今や古貨幣に興味を持たぬようになっているからだが、別にそれで良いと思う。いずれ中高年になり、時間の制約が厳しくなると、やれることが限られるようになる。貨幣取集など、その頃に始めればよく、それまでは自身の人生で何を柱とすべきかについてよく考えるべきだと思う。

 若い時から珍銭探査に精を出しているようでは、器が小さくなってしまう。活動が「十畳の空間スペース内」なのだから当たり前だ。外に出て色んなものを見るべきであることは改めて言うまでもない。

 私の父は三四十年前から「お前のやるべきことは古銭を集めることではない」と私に説教をして来たが、その意図を理解したのは最近になってからだ。

 父は古貨幣収集を卑下して言ったのではない。

 例えて言えば、父は「鳥谷ヶ崎(花巻)の品を集めることではなく、鳥谷ヶ崎の物語を書け」と言っていたのだった。

 今では私もそう思う。

 花巻の馬喰・及川屋清平衛の事績について、長期に渡り延々と調べているが、そろそろ出力の時期が来ている。あとは体力がどれだけもつかに懸かっている。

 

 ちなみに、体が少しなりとも持ち直すと、この札類を手放すことに躊躇するようになった。死ぬ前にきちんと足を洗えた収集家は「事実上いない」ので、自分が最初の一人になりたかったが、それでも足が止まる。

 以下はいつも記すコレクター小話。

 南部の収集家のK氏は、かねてより入院中だった先輩収集家の某氏より「病院まで来て欲しい」という連絡を受けた。

 その先輩は既に末期癌で、余命は今月来月だ。

 K氏はもしや「死ぬ前に自分のコレクションを引き取って欲しい」という依頼ではないかと考えた。死後ではハゲタカが寄り付いて、二束三文になってしまうから、生前に信頼のおける後輩に引き取って貰おう。そんな依頼ではないのか。

 そこで、K氏は「現金が無くては話にならない」と考え、定期預金の証書を揃えた。また、もし足りなかった時の備えには、生命保険を解約して代金に当てよう、とも。

 K氏が緊張しながら病室を訪れると、先輩は呼吸器を繋がれ、点滴を受けていた。

 「ああ、Kさんか。こっちに来てくれないか」

 先輩は自ら呼吸器を外し、話が通るようにした。

 「今日の用件は古銭のことだよ」

 やっぱり。K氏の胸が高鳴る。

 「さて、Kさんの持っているあの品のことだが・・・」

 「はい?」

 用件は先輩の品のことではなくK氏の所有品のことらしい。

 「あの品を私に譲ってくれんかね。私はそのことだけが心残りなんだよ」

 はい、どんとはれ。

 灰になるまで道楽の道は続く。 

 

追記)結局、先月の決断の通り、売却することにした。下値もこれまでの設定どおり。

入手機会は人生に一度。状態は一般的な見方では「上」だろうが、紙質から見ると「美」だと思う。二日経てば気が変わりそうなので、13日の午後十時頃には締め切ることにする。

 

注記)いつも通り推敲も校正もしないので、不首尾はあると思う。一発殴り書きの日記ということ。