◎古貨幣迷宮事件簿 「花巻商人の古札」
収集品の整理を始めて、「生きているうちにこれを手放す日が来るのか」と思ったことが幾度かあるが、これらはその最たるものだ。
「いずれにせよ入院治療を受け、数か月は安静にしていることになる」から、その用意をして置く必要がある。こういうのは巡り合わせなので仕方がない。
さて、鳥谷ヶ崎(花巻)城は、諸城破却令の後にも城の存続を許された城だ。
城代は当初、北信愛であったが、後に直轄地となり、藩主親族が城主として派遣されるようになった。城自体は明治二年まで残っていた。
当然、江戸期を通じ、鳥谷ヶ崎は城下町で、商業も川口町や八日町などを中心に栄えていたのだが、商人の活動を示すような資料、とりわけ札類がまったく出て来ない。
たまたま花巻の商人札を入手したので、当地の博物館に告知したが、館にも収蔵されていない模様だった。もちろんだが、『藩札図録』や『南部貨幣史』あたりにもまったく言及がない。
盛岡との間に、八戸領の飛び地を挟んでいるから、盛岡商人との取引を行うよりも、鹿角や八戸商人らとの繋がりが深かったことも、資料が残らぬ原因なのかもしれぬ。
たかが「商人の私札」と見なすか、盛岡に並ぶ一大拠点である花巻の経済関係資料と見なすかは、受け取る側の考えひとつだ。
私はもちろん、重要な資料と思う。何せ、これまで存在が知られていなかった空前絶後の品だ(推測による)。
今回、これを手放すことにしたが、さすがにがっかりもするし腹立たしくさえある。
博物館への寄贈を予定していたが、コロナ禍により訪問することが出来ず、今度は事情が生じ手放すことになった。こういう資料は、郵送などの手段ではなく、直接訪問して説明する必要があるから、これまで留め置いたわけだが、返す返すも巡り合わせだ。
ちなみに、直接訪問して説明しないと、先方が状況を理解するのに手間が掛かるし、労せずして貰った物はとかく軽く見られる傾向にある。蔵庫の奥に放り込まれるだけでは資料が泣く。
C48 花巻 仲居屋清助 預かり切手・証文
通常の金銭預かり切手の形式だが、銭ではなく土地ではないかと思う(研究途上だった)。
借金のかたなどに土地を預かったのだとすると、額面はかなり大きな意味になる。
C49 花巻川口町 丸岡屋儀兵衛 銭一貫文預かり
文字の判読には苦労するが、この札の場合は、印判が鮮明なので助かる。
巳七月とあるから、概ね弘化二年、安政四年、明治二年のいずれかとなる。
さすが大きな城下町の商人で、形式がしっかりしている。
ちなみに売価は以下の算定基準とした。
((購入価)ー(売却済代金))/残余枚数、すなわち一枚単価となる。
過去に一度も市場に出たことが無いため、相場は存在せぬが、金銭で買えるなら安いものだと思う。骨董・古物収集の真骨頂は、現地を直接訪れるところにある。
ま、意味と価値の分かる人は数人で、その数人がこの数日内に掲示を見るかどうかが勝負になる。繰り返しになるが、こういうのも巡り合わせによる。
私なら、昔から誰もが認める名品よりも、新発見の品の方に魅力を感じる。
難点は「分かる人が誰もいない」ことがあるということだけ。