◎どうやって窮地を脱したのか
一昨年の十一月頃から体調が悪くなり、数十メートルの距離ですら歩けない状態になった。十二月には括約筋が緩くなって来たので、「もうそれほど長くはもたない」ことを実感した。
「俺は到底、三月まではもたない」
実際、起きられない日が多くなり、日がな寝たり起きたりの日々だ。
病院に行き、買い物を少々するくらいで、あとは何も出来ず横になっている。
多少、調子が幾らかましな時には、精神状態を整えるためにお寺や神社に行った。
半ば以上は、神社猫のトラに会い、慰めて貰うためだ。
私にとっては、あの猫が最大の友であり仲間だった。
三月を何とか超え、四月に入ると、トラの姿が消えた。
中旬くらいまではいたのだが、ふっつりと姿を消したのだ。
かなりの高齢でもあったから、おそらくこの世を去ったのだろう。
家人は「ご主人様の家でのんびりと老後を過ごしているんだよ」と言ってくれたが、それは気落ちしている私を慰めるためだった。
最後に会った時には、トラは私を離すまいとして爪を立てていた。トラが爪を立てるのは、それが初めてだったから、たぶん、自身の死期を悟っていたのだろう。
異変は五月に入っても続いており、いつも後ろに「誰か」が付いて来ていた。
台所に立っていると、カウンターの陰に「誰か」が隠れており、時々、こちらを覗き込む。視線に気付き、気配のした方を向くと、手足の先や着物の裾がちらと見える。
そういう時は、「ああ。俺が倒れるのを待っているのだな」と実感した。
五月のこの写真は、少し歩けるようになって来た頃のものだ。
階段はもちろん上れぬが、神社の駐車場から境内までの百メートルくらいなら、立ち止まらずに歩けるようになっていた。
神殿前で撮影すると、すぐに左側の人影が目に付いた。
ここは石垣があり、灌木が数本立っているだけの場所だ。
ところが、当時そこにはない筈の草叢が盛り上がっている。
よく見ると、それは草模様の着物を着た人影なのだが、頭の部分が薄れている。
「あ。こいつは」
冬の間に、私の家の台所で、時々、覗き見してくるヤツではないか。
他の誰も分からずとも、私には分かる。何故なら、ガラス映りの画像だけではなくて、直接、姿を見ていたからだ。
あれから一年が経ち、あの頃のような煩さや煩わしさは無くなった。
今振り返ると、私自身は間違いなく「自分の死期を観ていた」と思う。しかし、それをどうやって脱したのか、その具体的な方法がよく分からない。
可能な限りガラスに映る自身の姿を撮影し、そこに異変を見取った時には、お祓いとご供養を施しただけだ。
神職・僧侶・祈祷師は「念の力」を高めることで、あの世との間に境界を引くことが出来るのだが、私のような素人の祈りが、そう簡単に通じるとは思えぬ。
おそらく、祓ったり、遠ざけたりしてはいない。
その頃の私が考えていたことは、「あの世の者と仲間になる」ことだった。
そのために、考えを声に出して伝え、幽霊を対等に扱った。ただそれだけ。
あとはまだよく分からない。
このため、時々、過去を振り返り、どうすれば、あの世と仲良く出来るのかを探ることにした。
世間で言われるところの「あの世(幽界)」や「幽霊」に関する見解は、多く実態に即さぬ誤謬を含む。恐怖を覚える人が多いだろうが、それも単に想像や妄想が創り出したイメージに過ぎない。
いつも「恐れぬこと」「敬意を示すこと」を説いているが、多くの場合、節度を守れば何も起きない。私は幽霊に抱き付かれることが時々あるが、だからと言って、何か悪いことが起きるわけではない。注意深く、自分とその相手の間に「境界線を引く」だけだ。あくまで意識上の境界線だから、「相手に同調しない」というだけ。
また、上記二つの心得と共に「常に例外はある」とも書いているが、「あの世」がいざ怒りを示す時には、生ける者が想像出来ぬような恐ろしいことが待っている。
小説や映画では、祟りによって主人公が死ぬと話は終わりだが、実際には死んでも終わらず、死後も延々とそれは続く。
生きている者にとって最も怖ろしいことは、「死ぬこと」自体ではない。
死は必然なのだから、怖れても怖れずとも、必ずやって来る。
それなら、過度に怖れることほど無駄なことは無い。
本当に怖ろしいのは、自身の死期を予期せずに、突然、死ぬことだ。
そういう死に方をすると、多く自身の死を認識出来ず、死後、あてもなく彷徨うことになる。その時には思考能力を失っているから、容易に先には進めない。
「お迎え」「死神」は「死の匂いを嗅ぎ取った」幽霊たちが、今にも死のうとする者の周りに集まって来る現象だと思う。
それがひとつの「現象」であるなら、それは実は朗報でもある。
死期を目の前にした者が、何がしかの間でも、それを遅らせることが「可能になるかもしれぬ」ということを意味するものだからだ。