日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎自然現象からの(一年前の振り返り)

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令和二年八月二十六日撮影

自然現象からの(一年前の振り返り)

 他の人と違い、私はもし次に「お迎え」が来ると、そこでアウトで、この世とオサラバだ。

色んな人から話を聞いているが、初回のお迎えは、割合、「少し待ってくれ」と頼むと、案外、聞き届けてくれるようだ。

 もちろん、あの世の存在を信じ、敬意を持って接することが出来れば、と言う話だ。一般の多くは、信じないが怖れている。

 しかし、「一発アウトではない」と承知して、心の準備をして置けば、そこからある程度死期を遅らせることが出来るようだ。

 それなら、予め用意するに限る。

 本物の「お迎え」は、ホラー映画や小説が軽くぶっ飛ぶような底知れぬ怖ろしさがある。

 心の準備なくしては、到底、対応できない。

 

 私は既に切迫した状況にあるので、常に「もしこれが何かのしるしなら」と考えつつ物事を眺めている。

 よって、過分に「薄を見ても幽霊に見える」きらいがある。実際に、見間違いも多々冒しているが、それも恐怖心によるものだろう。

 だが、よく考えると、それが本物かどうかはどうでもよい。

 こちらに突進してくるのが、自転車なのかダンプカーなのかを見極めるために、その場に留まり観察するほど愚かなことはない。あれこれ考えるのは、安全を確かめてからでよい。まずは目の前の危険を回避することからだ。

 そこで時々、過去の出来事を振り返ることにしている。一年も経てば冷静になっているから、何が起きていたのかを眺め直すことが出来る。

 

 さて、これは昨年の秋が始まった頃のものだ。例によってN湖の湖岸で撮影した。

 最初は何ら問題なく、自然現象と思しき、日輪(日光のプリズム効果)や蒸気玉(水気への反射)が出ていた。

 だが、途中から事情が変わって来たようだ。

 撮影場所を、休憩所の中に移しても煙玉状のものが依然として写っている。

 その休憩所の梁には、例によって、白い煙の綱のようなものが垂れ下がっている。その場にはこれと見間違えるようなものが一切存在しない。

 それと、かたちは断片的なのだが、強い視線がこちらに向けられているようだ。

 何となく薄気味悪い。

どこがどうとは言えぬが・・・、という時が、実はかなりヤバい。まだ、姿を現してくれた方がまし。

 (今も見ているので、この位置をあまり見詰めないこと。)

 

 この地に通って、一年以上、ご供養を繰り返したが、今ではすっかり良くなった。レストハウス付近では、今はほとんど違和感を感じない。

 あとは船着き場付近だ。ここもかなり良くなったが、まだいくらか残っている。