日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎公園は閉まっている(499)

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令和二年四月二十九日撮影

◎公園は閉まっている(499)

 「片道十五分程度のローカル神社に参拝する」のが、果たして規制対象の「外出」に当たるのだろうか。

 そんなことを考えつつ、神社の前を通ったが、どうせ買い物に出たわけだから、覗いてみることにした。

 平日は閑散としているのだが、この日は参拝客の行列が見える。

 「何故?」と思う間もなく、この日が祝日だってことに気が付いた。

 なるほど。

 「では駐車場で手を合わせて帰ろうか」と思ったが、よく見ると、客たちは五メートルずつ間隔を空けて並んでいた。

 さすが信仰は「人生の糧」だ。食料の買い出しと同じくらい大切なのだろう。

 

 数分間眺めていると、数人まで減ったので、ささっと小走りで拝殿し、手を合わせた。

 この時、前後には数人だけだ。

 駐車場に向かいながら、すぐさま画像を開き、自身の左肩の辺りを確認した。

 わずかに人影が見えるものの、さしたることはなし。

 「なあんだ。俺の直感も当てにならないわけだな。気のせいだったか」

 てっきり、私の後ろに女が立っているかと思ったが、これなら「気のせい」の範囲だ。

 これは最も望ましい展開だ。

 直感・霊感が「ただの妄想」であることほど幸せなことは無い。

 

 車に入り、発進直前になり、何となく気になりもう一度画像を開いた。

 「ありゃ。反対側に出ていたか」

 左肩ではなく、右後ろの方にでっかい顔が出ている。

 一昨日は「女の髪はショートか肩まで」と思っていたが、やはりその通りだ。

 顔ひとつに見えるが、実は二体。

 前の女の髪はショートだし、後ろのは肩までのよう。

 「ふうん。やはりあの『肩に乗られた』感触は本物だったか」

 いよいよ私も本物になって来た。

 

 この女たちが幸運なのは、こうやって私を見付けられたことだ。

 きちんと発見して貰えるし、ご供養もして貰える。

 「しばらくは俺の眼で物を見て、耳で聞いても良いが、ほどほどにしてくれよ」

 ま、私の眼を通して自分の姿を見れば、そこで自分の今の境遇に気付く。

 それが「成仏」(私は「(自我の)寛解」と呼んでいる)への早道になる。

 

 帰路には、公園の駐車場で食べようと思い、お弁当を買った。

 もちろん、車から下りずに窓を開けて食べるだけのつもりだったが、しかし、公園の入り口は閉鎖されていた。

 そこで、入り口の前でお弁当を食べ、帰宅した。

 ここはプチ動物園の入り口だったが、時折、遠くの方で「ケーン」とクジャクが鳴いていた。

 こんな田舎に住んでいなければ、こういうこともし難いご時世になっている。