◎普通の出来事(478)
火曜の朝方には、若かりし頃の楽しい夢を観ていたのだが、唐突にその夢が分断され、神社の鳥居が現れた。
その鳥居の上の方から、二人の女がゆっくりと降りて来る。
黒い服をまとった女たちだ。
左側の女はもはや高齢に差し掛かっていたが、前に見たことがある。
「ああ。あれは看護師の」
三か月くらい前に看護師Kの後ろに女が寄り添っているのを目視したのだが、最近、その女の気配が消えていた。
「なあんだ。やっぱり俺の方に来たか」
もしその女が私に気付けば、間違いなくこっちに乗り換えて来る。そう思って、なるべく見ないふりをして来たのだが、やはり気付かれていたか。
右の女に目を向けると、こっちは明らかに性悪そうな顔つきをしている。
「まるで魔女だな。普通の者には清楚な美女に見えるのだろうが、俺には通用しない」
すると、その女がけたたましい声で笑い声を上げた。
これですぐに目が覚めた。
「あんな風に、夢を途中で分断させるやり方は尋常ではない。また呼ばれているわけか」
昨年と違い、もはやあの世の存在が分かったから、今では頻繁にお寺や神社に行く必要はないと思うのだが、それでは困る者がいるらしい。
こういう時は行き慣れているところが無難だから、病院の帰りにいつもの神社に参拝することにした。
祝日なので参拝客が多い。人の波が収まるのを待っていたら、夕方までかかる。
そこで失礼ながら、遠目から撮影した。
「ありゃりゃ。屋根の上に」
二枚目の画像では、ガラスに後ろの建物の屋根が写っているのだが、屋根の上に半透明の人影がある。屋根より前に立っているから、神殿の中の何かでも、屋根の後ろの木でもない。
二つ明るい点々が見えるのだが、これは手の甲。腕組みをしてこっちを見ている。なお、顔はよく分からないから、私以外の人には何も見えないと思う。ただの黒い影だ。
しかし、私にとっては意味が違う。それと同じ姿を十二時間前に見ているからだ。
ここでは何百回も撮影しているが、こんな影が出たことはない。
もちろん、その反面、「夢に観たものと似た人影が見えたので、そう信じ込んでいる」という見方も出来る。どう考えるかはその人の問題で、私はこれまでの自身の経験を信じる。同じことを「信じろ」とも言わぬし、他人がどう思おうが知ったことではない。
次の画像では、ガラス画面ではなく外側に黒い影が出ている。
参拝する女性の耳元で何かを囁いているようだ。
頭がでっかいから、内外にいる人がたまたま写ったわけではない。
いつも思うが、サイズを変えられるのは、いったいどういう仕掛けなのだろう。
昨年、ポピー畑で家人とすれ違った女の姿も、二㍍はありそうな身長だった。
ともあれ、ここに上げている98Kの画像ではほとんど黒い影だろう。手元のは3メガだから、顔の表情も分かる。正直、すごくキモい。
ま、映画や小説とは違い、物理的に何かを仕掛けられるわけではない。
こういうのが吹き込むのは、専ら悪心で、心を揺さぶる。
例えばこんな風だ。
このところ、夫の帰りが遅い。
毎日11時過ぎに帰って来る。家に入った時には酒臭く、顔が赤い。
「仕事の付き合いだよ」と夫は言うが・・・。
夫が風呂に入っている隙に携帯の着歴を覗き見ると、何だか知らない番号が沢山入っている。
「そう言えば、前に電話が来たことがあった」
風邪を引いて寝込んでいる時に、会社から連絡が来たのだ。
あの時、夫は熱で苦しんでいるというのに、明るく話していた。
「まさか、あの事務の女の子と」
ここで、頭の中で声が響く。
「そうだよ。きっとあの子と浮気をしてるんだよ」
この時には、それが自分の声なのか、自分ではない「誰か」の声なのかが、分からないくらい逆上している。
こういう入り方をする。
この手の状況を防ぐのは、お祓いでも祈祷でもなく、「穏やかに考える」ことだ。
冷静に対処すれば、感情の起伏に乗じて、心を乗っ取られることもない。
四枚目のも非常に分かり難いが、参拝する男性の肩に、もうひとつ若者の頭が乗っている。男性は壮年で、髪の毛が寂しくなっているのに、若者の頭はアフロ並みにもじゃもじゃと毛が生えている。
後ろに誰もいないという証拠画像を出すまでもなく、若者の頭は男性の肩の上にある。
この日はあまりよい画像ではなかったが、不鮮明だから、「気のせい」で済ますことが出来る。そういう意味では、分からない方がよいこと、知らない方がよいこともある。
途中のたとえ話で出た「ダンナの携帯の着歴」なども、開けて見ぬ方が無難だ。
それを知ったところで嬉しいことなど何もない。
三枚目で耳元で「でっかい女」に囁かれている側の女性は、もしこのことを知ったら、さぞ恐ろしいと思うことだろう。だが、こういうのは、ちょっとしたことで祓うことが出来る。それが本当に自分自身の声なのか、冷静に考えてみることだ。
ひとの周りには常にこういう幽霊がいて、くっついたり離れたりしている。
ごく普通に起きていることで、特別なことではないから、影響され過ぎないようにすることが肝要だ。
恐怖心にかられ狼狽えるのが一番不味い。心が波打つと、余計に入り込みやすくなる。「大したことではない」、「きっと乗り越えられる」と信じることだ。