日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「黒い女」観察による推測

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「防護服の男」と「黒い女」の周縁

◎「黒い女」観察による推測

 まず冒頭で伝えるべきことは、これから感染の再拡大が起こり、月内にも「日に5千人」を超える事態が待っているということだ。これは一月二十七日付近から二月一杯くらいがピークになる筈だ。寒く乾燥した時期に感染しやすいのは、南半球の状況を見れば、誰でも想像がつくと思う。

 私が伝えるべきもうひとつの根拠は、昨年一月二十七日の「防護服の男」の画像だ。

 これまでも繰り返し掲示して来たが、これはクルーズ船が横浜に入港する前のもので、その後の展開はまだ想像できない状況だった。

 誰もいない神殿の前で写真を撮影したのだが、ガラス窓の片隅に「防護服の男」が映っている。事前にこの画像を見せるということは、すなわち「警告」と同じ意味を持つ。

 実際、その後は感染者、死亡者が増えた。

 あれから一年が経つが、ちょうどその頃が危機のピークになると推測される。

 何故なら、医療従事者が感染して、次々に死に至るという事態は、「これまで起きていない」からだ。

 あの世の出来事は「時間を跨ぐ」から、もし身近に救急隊や医療従事者でこの男に似た人を知っているなら、「注意喚起」をする必要がある。

 また、あなた自身もさらなる警戒が必要だ。

 「他の人は軽微な症状で済むかもしれないが、自分は違う」ことを肝に銘じる必要がある。

 

 今は「地獄の釜が開き、亡者が世に放たれた状態」だから、おそらく皆さんの頭の中で声がするだろうと思う。

 「若い人は無症状で済む。苦しむのは年寄りだけ」

 「自粛ばかりでストレスが溜まって仕方がない」

 「周りには感染した人がいないから、きっと大丈夫」

 こういう「声」の中には、あなた自身の声ではないものが混じっている。

 

 悪霊のアモンは、既に一年前から「これから祟りの雨を降らす」と宣言している。これは過去ログを検索すれば容易に出ると思うが、単なる話だけではなく「姿を現した者」の言葉だ。「あの世」では、既に前々から「ひとの魂を迎え入れる仕度」をしている。

 

 さて、十一月二十三日の「黒い女」は、過去にも幾度か姿を見たことがある。

 一瞥で「これは」と識別できるのは、過去にも姿を見たことがあるからだ。

 「黒い女」は全身黒づくめの服を着ている。修道女かあるいは中東の女性のように、ベールを被り、鼻から下をショールで覆っている。これは概ね総てに共通するが、頭には被らず鼻の下だけを覆うケースもある。

 さらっと検索してみたが、最初は「防護服の男」と同日の画像だった。

 ただこの時は極めて不鮮明で、5メガの画像でようやく確認出来る程度のものだ。

 その時点でも公開したが、数十kbのウェブ画像ではほとんど分からない。

 ま、こういうのは仕方がないし、広範囲に理解させる必要はない。「瞼を開きものを見て、耳を欹てて声を聞く」者にだけ伝わればそれでよいと思う。

 

 二月の画像も不鮮明だが、屋根の上に黒く直立した影がある。

 周囲には、影を生じさせるものはないので、「これはおかしい」と誰でも想像がつく。

 また、「黒い影」は周囲の景色を不規則に歪めている。この「空間(光)を歪める」傾向は、「あの世」観察では重要な素材だ。

 

 それから十日後の二十一日には、女の幽霊に近づく様子が画像に残っている。

 画像としてはこれも不鮮明で、繰り返し幾度も確認して初めて分かったことだ。もちろん、ウェブ画像をモニターで見ても、よく分からないと思う。

 「何となく変な気がする」が伝わればそれでよし。

 

 五月以降も折々で現れたと思うが、総てを検索してはいられぬ。夏から秋にかけても時々、顔を出していただろう。

 今年前半を通じて言えることは、これまでは「ほぼ半透明で目に付き難い姿」だったことと、この女の関心が「他の幽霊を捕まえる」ことにあったこと、のふたつだ。

 ただし、この状況は少し変化しているかもしれない。

 十一月二十三日には、「黒い女」らしく顔を半分隠した「女」の姿が残っている。

 この直前に、「魔物」が画像に捉えられているが、どうやらこの女が背後から来て、私を通過して前に出たので、画像が歪んだものらしい。これは「魔物」のシルエットが私の姿に近似していることと、前後の位置関係を変えていることによる推測だ。

 

 由々しき事態は、この「黒い女」の姿が鮮明になって来ていることだ。

 過去の「影」については、「これはこういう者」だと言われても、殆どが頷けなかったと思うが、「何かがいる」と思った人が倍増した筈だ。

 だが、屋根の上の影も、この女も同じ者だ。これは様々なパターンを私が数多く経験しているから、かたちが鮮明でなくともそれと分かるということ。(優劣の話ではないので念のため。)

 今の最大の問題は、最後の画像だ。男性には「女」が貼り付いているが、これは果たして「黒い女」なのかどうか。

 眼の周囲までしか見えぬので、はっきりと判別がつかぬが、仮に「黒い女」なら新しい展開が起きていることになる。

 これまで、「黒い女」が対象にして来たのは、死者すなわち幽霊たちだった。

 幽霊を取り込んで、自身の存在を確立させて来たのだろう。かたちが鮮明になって来たのは、すなわちそういうことだ。

 この「黒い女」が、もし、「生きている者を操る」ようになって行くなら、さらに大きな災禍に繋がっていくことになるだろう。

 まずは、心の状態を整え、自身とそうではない別の者との声を区別するように心掛ける必要がある。

 

 ところで、最近の状況を検討してみたが、どうやら私には再び危機、あるいは死期が近付いているらしい。

 その根拠は、「もう一人の私」だ。

 十二月一日に撮影した画像では、ガラス映りの画像に、私と「もう一人の私」が写っていた。

 この解釈は二通りある。

 まず一つ目は、「魂が遊離している」というものだ。私は一度「死線を超えた」ことがあるから、肉体と魂が分離しやすいのかもしれぬ。

 二つ目は、文字通りの「ドッペルゲンガー」で、「死期の到来」を知らせるものだ。

 言い伝えの通りだとすると、私は数か月中にこの世を去る。

 

 一つ目は、今の私にとっては「別にフツーのこと」だから、今後は後者を想定して振る舞うことになる。いつも「死後」を考えているから、これまでとさほど変わらない。

たぶん、一月末が最初のヤマということになるが、これは私だけでなく、世間の人々も同じだ。

 「老後」は無いかもしれぬのだから、「今を楽しむ」ことだが、それは他の人と会うことではない。「棺桶には一人で入る」ことになるからだ。 

 自身の趣味・道楽なり、道を究めることに時間とお金を使えばよい。

(外出前の殴り書きで、推敲・校正無し。標記に不首尾があると思う。)