日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第791夜 暗い道

◎夢の話 第791夜 暗い道

 五月一日の午前二時に観た夢です。

 

 我に返ると、目の前に二人の背中が見える。

 いずれも女性だ。片方は三十歳くらい、もう片方は高校を出たばかり風の若い娘だ。

 前に歩み出て横を向くと、年上の方は眼鏡を掛けていた。

 「若い頃の吉永小百合さんに似ている」

 背はこちらの方が高いから、「娘だ」「孫だ」と言えば、たぶん、信じる人もいそう。

 新聞か雑誌の記者っぽい。

 もう一人の若い方は、ずんぐりむっくり。赤いダウンジャケットが厚いから、余計に膨れて見える。どうやら、この子が案内役なんだな。

 

 ここで周囲を見渡す。

 今いるのは、どこかの湾の入り江だ。ちょっとした出っ張りがあり、そこに向かって歩いているようだ。

 海は穏やかで、波の音が微かに聞こえる。

 崖を削って作った細道を進む。一つ間違えれば、下に落ちてしまいそう。下は岩場だから、落ちれば死んでしまう。

 「なるほど。この道は普段は使わない。あの場所に行くのは、船を使うのだろう」

 何か事情があり、歩いて向かおうとしているということだ。

 

 険しい道を通り抜けると、前が開けた。小さい浜があり、幾つか建物が見える。

 漁師小屋のよう。

 「ここです」と、赤ダウンの娘が女記者に言う。

 女記者はメモを取り出しながら、赤ダウンに訊ねた。

 「ここでは普段は何をやっていたのですか」

 「ここは鰊小屋です。ダンナさんたちが沖で鰊を獲って来る。奥さんたちがここで待っていて、その鰊を捌きます。数の子を取って、身の方は下ろして塩水に浸け、潮風で干すのです」

 「ああ、身欠き鰊になるのね」

 「そう」

 

 ゆっくりと建物に向かう。

 船着き場のすぐ傍にある割と大きな建物は、どうやら工場だったようだ。

 「ここで鰊を処理したのね」

 女記者が写真を撮る。

 長い工場の横を回ると、すぐ奥に壊れた小屋があった。石炭が散乱しているから、元は石炭小屋だったのだろう。

 その石炭の残骸を見ていると、底の方からうっすらと煙が上がっていた。

 「ああ。なるほどね。これで出火したわけだ。硫黄の匂いがするから、石炭粉とあとひとつ何かが加われば、自然発火してしまう」

 何せ爆弾の原料だからな。

 

 赤ダウンが女記者に説明する。

 「船が着くと、まるで戦場です。夫たちは魚を下ろすと、すぐにまた出港してしまいます。女将さんたちは大急ぎで捌いて、処理が終わったものから別の船に積んで運び出します。作業がひと区切りするまでぶっ通しで働き、それが終わると、あちらの漁師小屋で仮眠を取るのです」

 ぶっ倒れて眠ったわけだ。狭い小屋に皆で雑魚寝をしたのだろう。

 「寝ている時に火が出たわけですね」

 「そのようです」

 出火した、と言うより、爆発したのだな。石炭小屋が吹っ飛んで、漁師小屋も丸焼けになった。

 周囲には、そこいら中に鰊が散乱していた。干していたのが、この火事のせいでこうなったのだ。

 漁師小屋はすっかり焼け落ちていた。

 漁師の女将さんたちは、すっかり眠り込んでいたのだろうから、ひとたまりもない。

 皆が焼け死んだ。

 

 女記者がしきりに写真を撮っている。

 小屋の残骸から、散らばった魚まで丁寧に撮影していた。

 赤ダウンの娘が頃合いを見て声を掛ける。

 「もういいですか。この時期は陽が落ちるのが早いんです。車に戻る頃には、暗くなってしまいますよ」

 「分かりました」

 湾の手前に車を停めて、そこから歩いて来たのだが、そこまで戻るのに、また二キロは歩かねばならない。

 来た道を戻ろうとしたが、赤ダウンの娘がそれを制止した。

 「途中で暗くなるでしょうから、あの道は危険です。山道の方を行きましょう。少し歩く距離が長くなりますが、そちらの方が安全です」

 「ではそうしましょうか」

 そこで身を翻し、来た道とは逆の方向に歩き出した。

 「道幅はさっきと変わりませんけどね」と娘が笑う。

 

 工場の脇を通り過ぎる時に浜の方を見ると、五六人がドラム缶を囲んでいた。

 ドラム缶に薪をくべて、その火に当たっていたのだ。

 「おかしいな。女将さんたちは全滅したんじゃなかったのか」

 女たちは皆が無言で下を向いている。

 嫌な感じだな。早くここを離れよう。

 

 山道に分け入ると、すぐに暗くなって来た。

 女記者と赤ダウンの娘が懐中電灯を取り出して、先を照らす。

 「本当だわ。あなたの言う通り、あっという間に暗くなった」

 「そう。日が傾いた、と思ったら、すぐに真っ暗になります」

 海沿いの道なら、まだ明るかったのだろうが、ここは両側が斜面だから、余計に暗い。

 ライトの先が漆黒の穴になり、左右から垂れ下がる長い草だけが見える。

 

 二人の後ろを歩きながら、俺はつらつら考えた。

 「これって、死出の山路にそっくりだな」

 「死出の山路」とは、ひとの心臓が止まった時に最初に経験する行程のひとつだ。

 暗い山道をひたすら歩くのだが、果てしない距離を歩き、山を越えると、その先があの世になる。

 

 ひとが死ぬと、本人が思い描いたイメージによって周囲の世界が形成される。

 そこに向かうステップのひとつがこの暗い山道なのだが、大体の死人はこの「死出の山路」か「三途の川」のどちらかを通る。六割くらいが「川」で、三割が「山」だ。ま、ごく少数は「トンネル」だったりもするわけだが。

 「死出の山路」では、真っ暗な山の中をひたすら歩くのだが、遠くでは「ほおお」という鳥の声が響いたり、誰とも知れぬ人の声が聞こえたりして薄気味悪い。

 「この道はそういう道にそっくりだ」

 前を歩く二人の背中をぼおっと眺めながら、そんなことを考えた。

 

 「もっと早く来て、早く帰ることにするんだったわ」

 女記者が自嘲気味の言葉を呟く。

 「ちゃんと帰れるのかしら」

 ここは、地元育ちの赤ダウンの娘が「そんなことないですよ。すぐに着きますから」と言うべきところだ。しかし、この時、娘は黙っていた。

 この娘の方も、少なからず不安に思っているのだ。

 

 その様子を見て、俺ははっと閃いた。

 「あの女たち」

 ドラム缶の火に当たっていた女将さんたちのことだ。

 漁師の妻たちは全員焼け死んだから、あそこにいる筈が無いのだが・・・。

 事件が起きた直後だし、仕事を再開出来るわけが無い。

 それに、あそこに女たちが立っていたのに、前の二人はまるで気付かぬようだった。

 「うっすらとは感じていたが、やはり死んだ女将さんたちだったか」

 

 嫌な感じだ。「あの世」を身近に思わせるような出来事が起きている。

 「まさか、もう死出の山路の入り口に分け入っていたりしてな」

 すると、すぐさま頭の中でパパパっと映像が沸いて来た。

 浜には鰊が散乱している。そろそろ腐敗して来ているから、その匂いが周囲に流れる。

 「その匂いを嗅いだ羆が集まって来るだろうな」

 おそらく山の方からだ。

 熊がこの道を降りて来るなら、鰊より先に、もっと美味しい獲物にあり付けることになる。

 「この二人。かなり不味い状況だぞ」

 もはやすぐ近くまで熊が来ている。

 「海沿いの道を戻ればよかったのにな」

 

 ここで俺はもう一つのことに気が付いた。

 あの浜に向かう途中も、そこから帰る道でも、俺はひと言も女たちと話をしていないことだった。

 「もしかして」

 俺は二人の「連れ」ではないのかもしれん。

 「この二人は程なく死ぬ。そうなると、それに付き纏っている俺は・・・」

 ばんやりと考える。しばらく考え、ようやく答えに行き着いた。

 「俺がこの二人のお迎えだったのか」

 なるほど。それですべての説明がつく。

 

 これで俺は少し安心した。

 「死出の山を越えるのは、独りでは寂しい。ここは真っ暗で何も無いからな。こうやって連れが出来るなら、心細く無くなる」

 ここで覚醒。