日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎既に去ったのか

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◎既に去ったのか
 このひと月の間、神社猫のトラが行方不明。
 雨だったり、人出が多い時にはいつもいないのですが、平日の晴れた日には必ず出勤していました。
 もはや16歳か17歳、またはそれ以上で、「人間で言えば・・・」と考えるのも怖ろしい齢です。
 この1、2年でめっきり老けて来ていたので、「あるいは、先にトラの方にお迎えが来たか」と考えてしまいます。
 そう言えば、3月頃は甘え方が極端でしたが、「お別れを告げていたのかも」と取り越し苦労をさせられてしまいます。

 いつもそうですが、本当に大切なものは失くして初めて気付くもんです。普段は「あるのが当たり前」と思っていますね。
 人付き合いも、動物付き合いも好きではないのですが、この猫は別格でした。
 ま、「せめて百回参拝するまで生きていよう」と思って、神社に参拝を始めたわけですが、今は程なく4百回に届きます。
 総てこの猫が支えてくれました。

 ところで、岩手・雫石の民話に「魚の女房」という話があります。
 概ねこんな話です。

 ある貧しい漁師が川で魚を捕っていると、網に見事な魚がかかった。
 漁師はその美しさに見惚れ、その魚を放してやった。
 すると幾日か後に、漁師の家の戸を叩く者があった。
 「旅の者ですが、少し具合が悪いのです。こちらで休ませては貰えませんか」
 その女の顔を見ると、絶世の美女だ。
 漁師は家の中に入れて休んで貰った。
 それから数日して、女の具合が良くなったが、女はそのまま漁師の家で暮らすことになった。
 女は漁師の女房になったわけだが、この女房は美しいだけでなく、料理も上手かった。
 じきにそれが知れ、近所の者が来るわ、領主まで来るわで、皆がお礼や褒美を置いて行く。気がついたら、漁師は裕福になり、大きな家に住むようになっていた。
 ある日、漁師は女房の腕の秘密を知りたくなった。
 「お前はどうやって作っているのだ。厨房で俺に教えてくれ」
 すると、女房は首を横に振った。
 「ダメです。けしてお見せすることは出来ません。もし私が厨房で料理を作るところを覗いたら、私はこの家を去ります。絶対に見ないと約束してくださいね」

 ここで多くの人が気付くだろうが、この話の流れは『鶴の恩返し』とほぼ同じだ。そうなると、この先の展開も容易く想像出来る。

 漁師はもちろん、「そんなことはしない」と約束した。
 しかし、世の男とまったく同じで、「ダメ」と言われると、どうしてもやりたくなる。
 漁師はついに厨房で働く女房を盗み見ることにした。
 ここからが痛快極まりない。
 厨房の女房は、井戸から水を汲んで来て、盥(たらい)にあけると、着物の裾をまくって、お尻を出した。
 そして、そのお尻を盥の水につけると、ゆっさゆっさとお尻を揺らした。
 どんな者でもこれで気付く。
 「俺の女房の料理の味が美味いのは、ああやって出汁を取っていたからだ」
 世の誰もが絶賛する料理の味は、実はこの女房がお尻を洗った水で作ったものだった。

 この男の愚かなところは、黙っていれば何も起きないのに、あえて女房に話してしまうことだ。
 ま、ダンナの携帯を覗き見た奥さんの振舞いと変わりない。知らぬ振りをしていれば仲良く暮らせるのに、覗いてしまうし、追及してしまう。ダンナの携帯からは埃しか出ません(違うか)。

 漁師に「見た」と告げられると、女房はさめざめと泣いた。
 「あれほどきつく申しましたのに、あなたは私の姿を見てしまったのですね」
 そして、自分は「あの時助けてもらった魚です」と言い置いて家を走り出た。
 漁師は慌てて後を追いかけたが、女房はかつて自分が網にかかった川の渕に辿り着くと、そこから身を投げてしまった。魚に返ったのだ。

 ここからの数行がこの話のステキなところだ。
 女房を失った漁師は、それからも、毎日朝夕欠かさずに、あの川渕に行っては、「あいつが帰って来てはくれないか」と水面を眺めた。
 漁師の仕事も止め、女房のことだけを考えたから、再び家は寂れ、貧乏な暮らしに戻った。
 それから数十年後に死ぬまで、漁師は毎日女房を迎えに行ったとさ。
 はい、どんとはれ。

「俺のもんだ」とたかを括り、女房を大切にしないところは男にはありがち。
 ひとりの女を想い続けて一生を捧げるところも男にはありがちな心情だ。

 さて、そんな風な話をトラのために書いてやろうと思いますが、こういうのはトラが死んだ後にやるべきことでしょう。
 でも、トラが死ぬのが先か当方が先かは微妙なところだったりします。

 追記)神社が埼玉で、民話が岩手。猫優先で埼玉の話にしました。