◎夢の話 第792夜 バッファローを撃つ
八日の午前4時に観た夢です。
我に返ると、膝の上にライフル銃が乗っていた。
隣の運転席に男がいたが、その男が声を掛けて来た。
「しかし、でかい銃ですねえ」
「ああ、これは象を撃つためのヤツだからね」
ここでパアッと、今の状況を思い出した。
俺たち二人は、これから保護地域に入り、牛を殺しに行くところだった。
「保護地域」とは、昔は「帰還困難地域」と呼んでいたところで、汚染されている。
あれから数十年が経ち、まだ住むことは出来ないが、マイナスイメージを少しでも減らすために「保護地域」と呼ぶようになったのだ。
実際、「少なくとも二百年」はこのままだから、内外の環境はそのまま保護されるのと同じ意味になる。
時々、この地域をヘリが上空から監視しているのだが、たまに動物が見つかることもある。
事故後、四五年の後、動植物の変異が始まったので、動物は総て殺し、植物は焼き払った。この辺はロシアの展開とまったく同じだ。
ただ、それを逃れ生き延びたり、後から入り込んだりした獣がいる。そういうのは程なく死ぬことが多いのだが、数年生き延びると変異するようになる。
そこで俺たちの出番だ。
もしそういう動物が見つかれば、そこに出動して、その動物を射殺する。
もちろん、殺すのは牛や馬などの大型の種類か猪みたいな危険動物だけだ。
小動物は基本、殺さない。
また、今も人が入れない地域があるから、入れる地域だけで作業を行うことになっている。ま、そこでも一時間以内という時間制限があり、それを超えそうになったら引き返す。
あの事故の後、人間が脱出する時に、牛舎や家畜小屋の動物はそのままにして行った。
多くはそのまま餓死したり汚染の影響で死んだが、うまくそれを掻い潜って逃れたりしたものがいる。ま、飼い主の中には、不憫に思い、家畜を野に放した者もいた。
多くは半年くらいで死んだが、しかし、さらにそこを生き残ったものがいる。
数年すると、遺伝子の異常が始まり、次第に変異するようになった。ロシアでも、1㍍を超えるタンポポの花が咲いたのは、事故後五年を経過した頃だったので、それと同じ経緯を辿ったわけだ。
そこで、政府は総ての動物を処分する命令を出した。
牛や馬、豚などの家畜はもちろん、猪など野生動物も、多くはそこで射殺か薬殺された。
だが、動物の中には、さらにしぶとい者もいる。
これが生き残り、「保護区」の中で変異を続けているのだ。
隣の男が俺に訊ねる。
「今度のヤツはどんなの何ですか?」
こいつはまだ三十歳で、狩猟経験が浅い。普通の猪なら撃ったことがあるが、変異動物の経験はない。
「元は牛だったらしい。今はどでかいバッファローになっている」
「どでかいって?」
「体長が八㍍を超え、体高が二㍍半ある。推定体重が二トン半」
「え。それじゃあ、象よりでかいじゃないですか」
俺は自身の銃を軽く叩いた。
「だからこれなんだよ。写真を見たが、角もかなりのロングホーンだ。あいつに突っ込まれた日には、一発でやられるな」
車の後部には、避難タンク車を繋いである。
何らかの事情で、車が立ち往生した時の用心に、キャンピングカーのような箱に放射線を防ぐ装備をしてあるのだ。鉛で囲ってあるタンクの中にいれば、暫くはしのげるから、そこで救助を待つことになる。
何せ滞在可能時間は一時間だけだ。
「牛もどき」は保護区と準保護区の間にいて、簡単に見つかった。
なにせ体がでかいから、遠くからでもよく見える。
もしあの絶滅動物のメガテリウムという巨大なナマケモノが生き残っていれば、きっとこんな感じだったに違いない。
「ムースの雄にも似てますね」
「角がでかいからな。でもムースの二倍はありそうだ」
巨大な牛は悠然と草を食べている。
俺は銃を構え、一発でこの牛の肝臓を撃ち抜いた。
肝臓の場合、即死はしないが、十分も持たない。
牛が倒れるのを見て、俺たちはそいつに歩み寄った。
「仕事を達成した証拠はどうするんですか。どこかを切り取る?」
「おい。そりゃ映画の見過ぎだろ。写真を撮るだけだ」
牛はまだ体を震わせている。
その脇に立ち、俺は証拠写真を撮影させた。
それが終わり、牛を見直すと、牛にはまだ息があったのか、瞼を開けて俺のことを見ていた。
俺は少しこの牛が不憫になり、止めを刺してやろうと銃を構える。
すると、その牛があろうことか口を開いたのだ。
「おい。俺たちの命を弄んでおきながら、結局は殺すのか」
さすがにぎょっとする。
「お前は言葉が話せるのか」
「ああ。事故が起きた時、俺は生まれたばかりだったが、周りの人間の話を聞いていた。牛のままだったなら人間の言葉を話せなかっただろうが、その後で変異したからな」
事前にそのことを承知していたなら少し事情が変わっていたが、もはや遅い。
「そうだったのか。それは知らずにすまんことをした。人間は自分が犯した不始末なのに、その結果生まれたお前たちのことを恐れている。だから俺のような者を雇って殺させているんだ」
「それなら、もうここには来ないことだ。変わったのは俺だけではないからな。このことを知れば、お前たちはより一層、俺のような者を殺したくなるだろう。そうなると、俺たちも防御せずにはいられない。戦争になるぞ」
「お前みたいなヤツが沢山いるのか?」
「なるべく見つからぬようにしていたが、何せ俺はこの体だ。森の中に隠れようとしても難しい」
冷静に考えれば、気の毒な話だ。飼い主に捨てられ、汚染地域で生き延びて来たのに、今度は生き延びたことが原因で殺されようとするわけだ。
「それなら、俺はお前のような者がいることを皆に報せ、守って貰えるように手配してやろう」
すると、牛は即座に否定した。
「そんなことはしなくてよい。軍隊が大挙してやって来て、ここにいる者を皆殺しにするだろうからな。何せ、俺たちは人間ではないからな。知性を持つ化け物だと見なされる。このまま帰って、口を噤んでくれるとありがたい。どうせこの後、まだ長い間、ここは閉鎖されるのだろ。それなら、その間に、俺たちは俺たちの生き方を探すことが出来る」
牛の体が小刻みに震え始める。いよいよ死のうとしているのだ。
ここで俺は腹を決めた。
「よし分かった。俺はこのままお前たちのことは口外せずにいよう。もうここには来ない。役人には、『もう危険動物はいないから、ヘリの偵察も要らない』と報告しよう」
その言葉が届いたかどうかは分からぬが、牛は黙って眼を閉じた。
「ボス。もう出ましょうよ。予定の時刻を過ぎてますから」
「うん」
二人は急いで車に戻った。
車を発進させる時に、俺は助手に訊ねた。
「お前。さっきの話を聞いていただろ。もちろん、分かっているだろうな」
助手が頷く。
「もちろんですよ。さっきみたいなことは一度で沢山です」
車が動き出す。
牛を倒した森が小さくなった頃、唐突に叫び声が轟いた。
「グオオオオオウ」
窓を閉めていても、鮮明に聞こえる。
「あれは?」
俺はその声を聞き慣れていたから、すぐにその声の主が分かった。
「あれは熊だな。今はどれほどの大きさになっているのかは分からないがな」
おまけにその熊は知性まで身に着けている筈だ。
そんなのが大挙して外の世界に押し寄せてくる姿を想像し、俺は身震いをした。
ここで覚醒。
夢の中では、この地域は「国と電力会社が借り受ける」という名目で、地権者に年金(賃貸料)を払っていたようだ。二百年以上、そのままなのだから当たり前だ。
当事者が忘れたつもりになっても、地域の実情は変わらないし、それが数百年も続く。
この夢は国や電力会社に「最後まで責任を取れ」ということを言おうとしているのだろう。