日刊早坂ノボル新聞

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◎お爺さんのご供養

◎お爺さんのご供養

 日曜の昼に撮影した画像では、私の隣に見知らぬお爺さんが写った。

 同日の夜中の十一時に「少し仮眠を取ろう」と横になったら、夢枕にその爺さんが立った。

 年寄りのようだが、死んだのは五十台の後半だ。川の近くで涼んでおり、体を冷やそうと水に入ったのだが、それで溺れてしまった。川遊びにはよくある展開だ。

 引き上げられた時にはまだ息があり、近くの家の座敷に運び込まれたが、救急車など無い時代だったから、医者が来るまでに死んでしまった。爺さんはそのまま長いこと闇の中で眠っていたようだ。

 事故や事件で死ぬと、死んだことがよく分からずに闇の中で十数年間くらい過ごすことが多い。その後、唐突に目覚めるのだが、今度は思考能力を失っているので、わけが分からぬままだ。死んだのはおそらく昭和二十年くらいで、まだ戦時中の話だ。

 闇の中で眠っていた期間としては長すぎるから、流浪の果てにこの地まで来たのだろう。爺さんが死んだのは荒川だ。もちろん、これは情景からの推測による。

 

 「俺には直接あんたを救うことは出来ないし、あんたと同化することも無いから、その代わりに時々お焼香をして慰めてやろう」

 そういう風に説明し説得するのだが、爺さんはなかなか去って行かない。

 幽霊側から見ると、私は「そこにいると分かる」数少ない存在だから、これを逃すと次のチャンスがいつ来るか分からない。だから「助けてくれ」といつまでも傍にいようとする。

 夢を観ている時は、体と頭が休んでおり、わずかに心だけが働く。幽霊にとっては、ちょうど同調しやすい状態だから、この時に心に入り込まれてしまうと、同化してしまうことがある。

 よく「人が変わる」と言うが、別の人格が入り込むから、感じ方や考え方も変化してしまうわけだ。

 そういうことは、頭を使える「生きた人間」しか理解できず、幽霊の側は単に「居心地がよい」と感じるか、その相手が「自分自身」だと思って入り込む。

 実際、幽霊が「こちらの眼で見て、耳で聞いている」一瞬があり、これは多く画像に残る。

 私自身の画像には、頻繁に「眼」が写るがこれはそういうことだ。

 その眼で、本来の自分の姿を捉えられれば、それで自身が「死んだ」ことを理解する一助になるから、これは悪いことではない。

 

 古い幽霊は、徐々に自我が薄れて行くのだが、そのせいで、さらに一層、融通が利かなくなる。

 「俺はお前ではない」ことを分からせるのに、幽霊と私の両方が「心しか使えない」状況にあるから、もの凄く時間が掛かる。

 駄々をこねる幼児と同じなのだが、その幼児を宥める方も幼児レベルの立場だ。

 頭でなく、心で考えられるようになるには、それを意識して行う修練が必要だ。ところが、頭は努力で鍛えられるが、心を磨くのは、情緒を「振り子のように揺らす」必要があるので、一筋縄ではいかないようだ。

 

 この爺さんが去ったのは、つい先ほどで、午前四時半頃。

 その間、ずっと向き合っていたから、六時間近く寝ていたのに、まったく疲れが取れていない。

 死後は、知識はもちろん、記憶も曖昧になって行くので、死んで七十年以上経った幽霊では、自分の名前すら思い出せない。どこの誰かは結局分からなかった。

 

 今は爺さんとの約束通り、ずっとお焼香をしている。

 こういう出来事の頻度が減ってくれれば、正直「助かる」のだが、ま、仕方がない。「手を伸ばして引き上げよう」と考える変わり者はほとんどいないから、そういうのには大挙して集まる。

 私は子どもの頃から幾度となく「数十万の亡者の群れが後ろをついてくる」夢を観たのだが、これはこういうことの示唆だろうと思う。

 

 自称霊能者や祈祷師は「とにかく幽霊を殴り付けようとする」から、幽霊の側は物凄くこういう人種を嫌っている。

 その手の人の「死に間際」は、「全身が腐る」か、「殺される」の二つに一つ。本物ほど苦しんで死ぬ。死後はもっと悲惨な境遇が待っているから、このジャンルで「能力者」や「師(先生)」を自称する気持ちが正直、理解できない。

 幽界との向き合い方の大原則は、「怖れぬこと」「敬意を示すこと」「絶対に弄ばぬこと」だ。「敵」や「異物」と見なすのは、敬意を欠く振る舞いになる。

 相手と対峙するのではなく、横並びに並ぶと、問題がほとんど起きない。

 この辺は長く連れ添う夫婦と同じ。

 時々、私は「どう見ても悪霊」のヤツに抱き付かれるのだが、しかし、だからと言って何も起きない。

 こちらが敵視をしていないので、先方も悪意を返して来ないようだ。