日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎今年上半期の振り返り

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今年前半期の振り返り

◎今年上半期の振り返り

 今年一月から六月までの「説明のつかない画像」のうち、確からしいものを抽出してみた。時間の経過に伴い、冷静に眺めることが出来るのと、画像が変化し弱いものが消えてしまう。よって、より正確な判断が可能になると思う。

 

 さすが冬の間は鮮明に写り、①②は誰の眼にもそれが人影だと分かると思う。

 ①は私も「ちょっと嫌だな」と思う画像で、同じ門の前後に立つ人の大きさが、左右で著しく異なっている。

 画像の右側の男性の背の高さは暖簾に近いから、身長170センチ台の後半だと分かる。ところが、左側の女性二人は、門の外にいるのに、男性よりかなり大きい。

 この感じのはしつこいので、見つかっていなくて良かったと思う。 

 門柱の後ろの女は体の三分の一しか見えていないが、首が頭ひとつ分の長さになっている(30センチ以上)。通常、こういうのは「首を吊った」ケースのことが多い。

 体重で首が伸びるのだが、自殺者は「死に間際」の姿のままでいることが多い。

 右側の女が立っている位置は「空中」になる。

 

 それと、やはりこの春は何と言っても③だ。

 神殿には私の他には誰もいないのに、その私の左前に「防護服の男」が映っている。

 一月でもあり、これから起きることを予告していたのかと思うほどだ。

 「たまたまそこにいた人が写った」わけではないのは、常識的には、「防護服を着たまま神社に参拝する人などいない」ことで分かる。

 

 あとはごく普通の小さい異変だ。

 カメラのファインダに片眼が写るケースがあるが、レンズを通して私の眼が見えているわけでは無い。簡単な話で、弱視の私は常にサングラスをしているから、「眼」が写りようがないのだ。

 

 また、腕や白い服の一部で、それが「ノースリーブのワンピースを着た女」(④⑥⑦)だと分かるのは、過去にも幾度か見たことがあるからだ。

 「御堂さま」(着物の女性)と違い、抱き付かれていることが多いから、よほど私に執着しているのだろう。

 特に大きなトラブルは無いので、時々、ご供養をする程度の対応にしている。

 

 さすがに、今年は昨年ほど酷くはない。

 だが、今は「新手の悪縁」に寄り付かれているので、いっそうの警戒が必要な感じだ。正体が見えないので、強力な者であることは疑いない。

 実際、私は概ねこのジャンルの出来事には慣れているのだが、今は常にザワザワ間を覚える。真後ろに立たれているからだろう。