日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎まずは様子を見ること

◎まずは様子を見ること

 今日、病院で、湖の手前の町に住む看護師が、「最近眠れなくて困っている」と私にこぼした。

 「毎日、同じ夢を観るのです。夢の中で車の後部座席に座っていると、突然、声が出なくなります。そこで周りの人にそれを伝ええようとするのですが、誰もこっちを見てくれません。そんな内容の夢です」

 この夢を四五日連続して観て、うなされて眼が覚めるのだそう。

 

 夢の内容はともかく、「毎日同じ夢を観る」のは少し引っ掛かる。

 何年か前に、私も毎日、「縞女」の夢を観ていた。数日どころではなく半年を超える期間になる。

 この「縞女」とは縞紬の着物を着た女性のことで、極めつけの悪霊だ。

 これに追いかけられる夢を毎日観ていた。幾つか理由があったからその影響だったのだが、それを除いたら観なくなった。

 

 「それじゃあ、枕元にコップに半分くらい水を入れたコップを入れておくといいよ。まずはそこから」

 ちなみに、その看護師とはこれまで一度も「あの世」の話をしたことがない。

 (ま、当たり前だ。日常の中ではそういう話は一切しない主義だ。)

 すると、看護師が「お塩は必要ですか?」と問う。

 「要りませんよ。『疲れているので眠らせてください』と言えば良いです。それで変わらないようなら、また私に言ってください」

 人間だって、道で足を止め、他家の前でほんの少しの間そこの住人を見たとする。そういう時に、その人にいきなり塩を掛けられたら、必ず腹を立てる。

 それと同じことだ。

 まずは相手がどのようなことを考えているか、どういう意図があるのかを確かめることが大切だ。

 慌てず騒がず、また恐れずに、敬意を持って接することが大切だ。

 ちなみに、自分の家の前で、誰かが足を止め、こっちを見ていた時には、まず「こんにちは」と声を掛けるのが正しい対処方法だ。その反応で、見る理由が分かる。

 多くは「庭のアジサイがきれいですね」みたいな答えをする。かたや悪意があれば、ひとまず相手を避けようとする。簡単な話だ。

 家の前に立っていたからと、いきなり殴り付けてはならない。

 

 すると看護師は「何か特別なことがあるのかと思っていました」と答えた。

 当然、「何故?」と訊く。

 すると看護師はこう答えた。

 「あの辺には、※※事件の犯行現場があちこちにあるんです。家を買う時に勧められたけれど、それがあったので少し離れたところに住むことにしたのです」

 え。そうだったの?

 その犯人が事件を起こしたのは、いくつかの隣接市にまたがった範囲だが、主にこの市の中で殺したり遺棄していたらしい。

 いつも寄るスーパーの近くの小学校の生徒が学校の前で攫われている。

 東京の隣接地域も現場のひとつなのだが、ここから山ひとつ向こう側のキャンプ場だった。要するにほんの数キロの範囲になる。

 そのことは、これまで全く知らなかった。ま、報道で見る事件現場を具体的な場所に当てはめて考えるようなことはしないものだ。

 その事件と今の状況には直接的な関りはないが、「悪縁が溜りやすい」土地柄であることは確かなようだ。

 

 今、あの周囲で悪い夢を観ている人は多いと思う。

 湖の奥に「扉」があるるのだが、そこが開いてぞろぞろとあの世の住人が出て来ている。(これが先日の画像の要因だ。)

 あの地に留まらず、外へどんどん出て行くわけだが、それに伴い、備え(心構え)の無い人が影響を受け、不都合が生じる惧れがある。

 

 看護師の夢の中で、声がまったく出ず、周囲に報せようとしても「誰も振り向かない」のは、要するに「死んでいるから」だ。看護師は生きているから、すなわち、それは別の者の意識だということになる。

 

 繰り返すが、こういう時は、まず「敬い」の気持ちをもって接することだ。

 声が出ず途方に暮れているのが、自分の親や子どもだったら、けして撥ねつけたりせず、「大丈夫か」と声を掛ける。それと同じ。

 

 これがただの夢なら、自身の心に原因があるから、それを癒せば悪夢が消える。

 また、そうではなく「誰か」の心情を汲み取っているなら、きちんと慰めることで、多くは去って行く。

 それを、恐怖心にかられ、「お祓い」だの「除霊」だのと騒ぐと、相手はもちろん機嫌を損ねる。

 「人間に対するのと同じように考える」ことが大切だ。

 ケンカ腰にならず、きちんと向き合えば、面倒なことにはならない。