日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎数か月後に起きること

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◎数か月後に起きること

 まずは一月二十七日のことになる。

 この日の私は、いつも通り神社に参拝し、神殿前でガラスに映る自分自身の姿を撮影した。

 この時、周囲には誰もいない。

 誰もいないのに、窓ガラスには、私の他に「もう一人」の姿が映っていた。

 画像に残っていたのは男で、何やら重装備を身に着けている。

 この頃は、まだ横浜にクルーズ船が入港する前だから、コロナウイルスの件は「武漢周辺の話」だ。このため、当時の私は、その男が「防護服を着ている」ことに気付かなかった。

 その翌月に日本でも感染が広がるようになり、二か月半後にはそのピークを迎えた。

 要するに、あの「防護服の男」は、事前の「お報せ」で、何らかの警告だったと今は解釈できる。

 

 こういうのは、同時進行的に意味を悟るのが難しい。

 何せ、国内では感染がまだ発生していなかったからだ。

 ということは、何かしら異変が起きた場合は、「メッセージ」を疑う必要があるということだ。かなり先を見越して意味を探す必要がある。

 

 今、私に起きていることはこう。

 私は週に三度通院しているが、先週からエレベーターが異常な動きをしている。

 私が一人で乗り込んだ時に、エレベーターが動かなくなるのだ。

 行き先階のボタンを押し、「閉」ボタンを押しても、エレベーターが動かない。

 幾度押しても、うんともすんとも反応が無い。

 そのまま時間が経過するが、二分ほど経過すると、ようやく動き出す。

 初回にはその後で「ドアが閉まります」を十回連呼して、ようやく扉が閉じた。

 それ以後、通院する度に同じことが起きている。

 この出来事の特徴は、「私が独りで乗り込んだ時だけ起きる」ということだ。

 初日の帰りには、エレベーターに同乗者がいたのだが、その時は何事もなく始動している。

 その後、二度通院したが、いずれの日も五割以上の頻度でエレベーターが固まっている。

 

 もちろん、「たまたま機械の調子が悪かっただけ」という事態も否定出来ない。

 だが、日常の中で「繰り返しエレベーターが反応しなくなる」という出来事はあまり起きないから、「異変」を疑う必要があると思う。

 すなわち、何らかの「お報せ」「告知」だ。一月の「防護服の男」のような意味があるのかもしれぬ。

 そうなると、「数か月後に起きる事態を事前に告知し、警告している」可能性を視野に入れるべきだと思う。

 もし大過なく通過できるなら、それに越したことは無いが、警戒はすべきだろう。

 

 今の出来事は専ら病院で起きている。

 そうなると、最も関係していそうなのは、病院で起きることだ。

 病院で起きると言えば、やはりパンデミック関連になると思われる。

 ここからは、想像であり推測になるが、数か月後、前回をはるかに超える「感染拡大が起きる」と警告されているのではないか。

 恐らく病院の機能が「停止する」ほどの状態だろう。

 そうなると、その状態に向けて、周到に準備し、体制を整えておくことで、極力、犠牲者を抑えることが出来るかもしれない。

 

 最も重要なのは、重症者を収容する医療施設になる。

 数千人規模で重症患者を収容し、治療できるコロナ専門の医療施設が必要だ。

 大都市には、一万人規模の収容力が必要になる筈だから、公有地内に用地を確保する一方で、一般病院の幾つかを「専用病院」として用意する必要がある。

 二次感染を防ぐためには、それが最も安全な環境だ。

 

 日常生活の中では、今言われている「注意事項を丁寧に守る」ことしか出来ないのではないかと思う。手洗い・うがい・消毒の徹底だ。

 「三密を回避する」行動も、今は春先よりも緩んでいる。

 とりわけ、市中感染が拡大した今となっては、通勤電車の人込みを減らすことが絶対に必要になる。

 日本政府は欧米のようにPCR検査を拡充しないし、するつもりもないようだから、より一層の警戒が必要になるということだ。

 

 危機を煽るつもりは毛頭ないが、世の中には「それほどひどい事態にならないのではないか」という空気があるようだ。

 「高齢者、持病のある人しか重症化しない」のような話が浸透し、若年層を中心に、それほど深刻に受け止められていない向きもある。

 ところが後遺症があることも指摘されているし、その後遺症の程度や経過については、現段階ではまだ分からない。

 

 もう一つ、さらに書き難いし言い難いことだが、ここからが私本来の領域になる。

 今後は「高齢者や持病のある人」だけでなく、誰もが「万が一」の心づもりをして置くべきだと思う。

 誰の身にも、「感染し、二週間程度のうちにこの世を去る」可能性がある。

 ある程度、それを想像し、仮にそうなっても「残心を持ったまま亡くなる」事態を避けるべきだ。要するに「覚悟して置け」ということだ。

 自身の死を想定しないまま亡くなると、その後も闇の中を長く彷徨うようになるからだ。

 

 この冬までに私は感染すると思う。

 来年、五輪がどうなるのかは分からぬが、いずれにせよ「五輪は見られない」のではないか。これも何年か前に観ていたことだ。

 一月の経験があるから、今回は強く言いたいが、ただの「世迷い言」に聞こえる筈だ。

 今はこういうメッセージを「どうやって上手く伝えられるか」を思案している。

 

 かつてのスペイン風邪では日本でも四十万人が亡くなったが、放置すればその規模の被害者が出る。そうなると、誰の身にも「突然の死」が起こり得る。

  これまでの話をごく短く言うと、次の通りになる。

 「あなたは次の春を迎えられぬかもしれぬから、相応の心の準備をする必要がある」

 自身の信仰に従って、穏やかに暮らすことを心掛けることだ。

 

 これが総て取り越し苦労で、結果的に私が「妄言を吐くうつけ者」になれば、それが最も望ましい事態だと思う。

 だが、今やあの世への扉は開け放しになっているようだ。それはすなわち、「新しい者を迎え入れる準備をしている」ということだ。

 今のメッセージは「警戒しろと伝えろ」ということだと思う。

 事前に警告するということは、「改変出来る余地を残している」ということでもある。

 すなわち、鋭意努力すれば、回避出来るとは言わぬまでも軽減出来ると思う。

 

追記)翌週の火曜に通院した。

 数日前に伝えるべきことを伝えたので、たぶん、異常は起きなくなると思っていた。

 その予想通り、この日の通院では、まったく異常がなかった。

 まだ私にもチャンスが残っているかもしれないということだ。

 今は他の人がアレを経験しており、守衛が「ここんとこエレベーターの調子が悪い」とこぼしていた。

 看護師長は、乗る度に「どの階でも停止してドアが開く」と言っていた。

 

 ま、純粋に「故障」の可能性の方が高くなったが、不具合がランダムだし、保守が来て点検しているのに異常が見つからないそうだ。

 しばらくは要経過観察といったところ。

 何も起きず、笑い話になるのが一番良い。

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