◎「例のアレ」は現場でも使う
木曜は通院日。
朝、病院に入り、エレベーターの前に立った。二階で何かの積み下ろしをしているらしく、なかなか下がって来ない。
私の病棟は一般の通院患者とは別の位置にあり、エレベーターのすぐ近くが救急処置室だ。
脇に公衆電話コーナーがあり、携帯電話で話す時もその中で行うことになっている。
そこで五十歳くらいの女性が話していたが、何気にその話声が聞こえて来た。
「お葬式はやっぱり家族葬だよね。今は緊急事態宣言だし・・・」
ははあ。家族が亡くなったのか。
病人やお年寄りが亡くなるのは、深夜から早朝のことが多い。
私の通院は朝の七時頃だが、大体は救急車が止まっていて、患者が中に運ばれる場面に出会う。
見慣れると、患者の姿を一瞥しただけで、その患者の一時間後が予測できるようになる。
恐らく、その女性の親御さんのいずれかが亡くなったのだろう。嘆きが見えぬが、仏が長く患ったり、高齢だったりすると、周囲は心の準備が出来ている。
たぶん、患者は女性のお父さんで、九十歳前後で亡くなった。
ま、これはあくまで想像であり妄想だ。「お母さん」だと、どんな状況でも悲しさが見えると思う。
こういう情景はいつも見ているから、次第に慣れてしまう。
検査室の長椅子で待っていると、憔悴した患者や家族が隣に座ったりするから、助言をすることもある。
前回は、一人の女性がすぐ近くで狼狽していた。「検査に来たら、重い病気が見付かり、そのまま入院し、昼には手術を受けることになった」と家族に電話を掛けていた。もちろん、携帯の使用禁止場所でだ。
「どうしよう」とおろおろしていたので、入院の手続きなど段取りを教えてあげた。
ともあれ、エレベーターが来たので、それに乗って三階に向かった。
三階に着き、外に出ようとすると、眩暈がして立っていられなくなった。窓の桟に手を着き、暫く待ったが、これが少し収まるまで数分かかった。
目の前に病棟があるので歩き出したが、雲の上を歩いているようだ。
中に入り、看護師に「眩暈がする」と告げた。
着替えをして自分のベッドに行くと、先程の看護師がやって来て、症状を尋ねる。
「酷い眩暈がするのと、何だか焦げ臭い匂いがする」
ここで、私と看護師が同時に「あ」と気付く。
何だか、話に聞く「感染初期」と似た症状だ。
「他に何か気付いたことはありますか?味が無いとか」
私は「別にないですね」と答える。
「ただ、雲の上を歩いているような頼りない気分だね」
とりあえず、指で「血中酸素飽和度」を計測すると98%で、正常範囲だ。ちなみに、感染すると、これが96%に下がり、93%に下がり(中等)といった経過を辿るらしい。
ベッドで待っていると、程なく医師がやって来て、症状を確かめる。
「熱は無いのですね。例のアレなら高熱が出るところです」
「熱は無いし、味も分ります」
看護師が「酸素も正常です」と口を挟む。
この時、私の頭は医師の「例のアレ」という言い回しのところで止まっていた。
「ありゃりゃ。ユーチューブやSNSの隠語だけでなく、医療現場でも『例のアレ』という言い回しをするのかあ」
発熱症状が無く、酸素も正常なので、ひとまず「経過観察」することになった。
ま、感染してれば、一週間目くらいの初期症状で、これがはっきり発症するのは数日後から一週間後だ。
看護師には「私が外出するのは、病院とスーパーだけで、もしそこで感染していたなら、いずれにせよクラスターが発生しているということだ。私より先に発症した人のニュースが二三日中に出る」と伝えた。
もちろん、感染していれば、の話だ。
医師や看護師に「私が感染してれば、必ず発症するから、せいぜいあと一週間の命だ。おまけに二十人くらい引き連れて行くことになるでしょうね」と飛ばし、皆で「アハハ。違いない」と笑った。
眩暈が止まらず、帰宅してからも、ずっと横になっていた。
丸一日寝ていたが、依然として眩暈が止まらず、常時焦げ臭い匂いがする。
でも、他は今のところ何ともない。
もし、実際に感染していれば、「このウイルスはトンデモネー難敵だ」ってのを実感する。
私は病院とスーパーにしか行かないから、普通の人より接触の量と質がいずれも少なく小さい。
アモンの降らす「祟りの雨」に私も打たれるかもしれんし、このままスルーするかもしれん。
何せ私とアモンは「友だち」だから。
すると頭のどこかで、「でもお前はクラブケーキかもしれんよ」という声がする。
どこかの大統領みたいに、実はひとりぼっち(笑)。
もし本格発症するとなると、初期からの経過が役に立つかもしれんから、細々書いて置くことにした。
いざ熱が出始めたら、もはや残りは二三日だ。
なんたって「病気の総合商社」(BYツジモト拝借)だもの。
それなら、すぐに終えておくべき手続きが様々ある。今日明日は忙しいぞ。