



◎「病の兆し」では無かった
八月二十六日に撮影した画像について、当日は気付かなかったが、私自身が映っていた。
何となく拡大すると、お腹の辺りに雲が出ている。
これまでの経験では、体の一部に煙玉や煙が出ると、概ね病気の前触れで、それから数か月内には命に係わる事態を迎える。
度々、神社やお寺に赴き、自身の姿を撮影するのは、そういう「前触れ」「兆し」をいち早く知るためだ。
当初はそれが目的だったのに、人影が写るようになったから、そっちに目が向いたということになる。
画像を確かめてみると、それほどはっきりしたものではなく、少しく安堵した。
ちなみにお腹の下の方では、腎臓、前立腺、大腸と持病がある。ま、どれかが癌化すればそこで終了になる。
この地は普通の人なら何でもない場所だが、ごく一部の者には神経を逆なでにされるところだ。
いつも誰かが見ているような気がするし、地点によっては、常に声が聞こえる。
周囲一帯は墓地だが、墓地は「穏やかな場所」であることが多いから、通常の決まりから外れる。
ま、場所によっては、色んなものが集まりやすくなったりする。
ごくわずかに「異変」が見えるが、これなら「気のせい」の範囲だ。
この地に慣れ親しんでいる私くらいしか違いが分からない。
ただ、この近くに住んでいる人によると、「何となく嫌」だというから、人によっては感ずるものがあるようだ。
ちなみに私がもっとも着目しているのは、「蛇」のような煙の筋だ。建物の中にも外にも、私の背後にも、このように映るものはない。煙玉(または煙)は自然現象のことが多いのだが、帯状の筋となると、自然には出来難い。
これまで幾度か現れたことがある。
追記)なお、すごく気味悪いのがいるが指摘しなかった。
理由は「気味が悪いから」だ。
でも、ほとんどの人はこれに気付かないから、まったく問題ない。
存在に気付かないなら、「存在しない」のと同じ。
いつも思うが、ここのを引き上げるのは容易ではない。