日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎振り出しに戻る(641)

 

令和四年八月六日撮影

振り出しに戻る(641)

 郷里の叔母に桃を贈ったのだが、その返礼の連絡が来た。

 「調子はどうですか?」

 こちらの病状については、親族より情報が入っているようだ。

 「まあ、ナントカ生きてます。おばちゃんはどうですか」

 すると、叔母は「病気が再発した」と言う。

 叔母は六年前に乳がんを切除したのだが、また同じ個所にがんが出来た。そこでまた切除して貰った、との由だった。

 叔母について本当にステキだと思うところは、常に前向きなところだ。自身の病状について、あっけらかんと「今は手を尽くしている」と語る。

 郷里で何十年もの間、近くで見て来たと思うが、記憶の中の叔母はいつでもニコニコしている。

 叔父叔母の家庭は皆が分かりやすい性格で、真剣に笑い、真剣に怒る。家を訪れると、親子で取っ組み合いの争いをしたりしていた。全員が自分に正直で居心地がよい。

 そこで時間があると、時々、叔父夫婦の家で過ごした。叔父は心臓に持病があり、いつもくどくどと病気の前触れについて語ったから、聞いているのは大変だったが、何となく聞いていたおかげで、自分の番が来た時にそれが役立った。

 「もうトシなので、切れ目なく病気になったりしますが、まだまだ頑張りましょう」

 健康な者に言われるとまるっきり「おためごかし」となりイラっと来るものだが、そこはそれ、私は普通の人より二歩も三歩も先を行っている。

 

 叔母のこともあり、病院の帰りに久々に神社に参拝することにした。お寺や神社から足が遠のくと、感度が鈍くなり、普通の生活に近づく。このため、「なるべく行かない」ことにしたのだが、どこかでガス抜きは必要だ。

 神殿の前には人が居らず、自分観察にはちょうど良い。

 立ち位置を替え、幾枚かガラス映像を撮影した。

 ①から④の順に撮影したのだが、④が正常な状態だ。

 

 右腕のかたちが著しく変化しているのが分かるが、時々これが起きる。いつも右肩のところに煙玉が出ており、これが光を屈折させるので、景色を歪める。

 なお、通常は④のように映る。家人や他の人に異変が出たことが無いから、私由来のものだと思う。

 腕が太くなったり細くなったりするが、ガラス面に歪みがあるわけではない。

 

 ①は神殿の前で最初に撮影したものだが、これだけは性質が違うようだ。

 どうやら女が貼り付いていたようで、内側の右腕は私のものではなさそう。

 見極めは簡単で、私のシャツの柄がなくなり、黒くなっている。これが黒玉だからだろう。

 白い煙玉は「付帯的現象」「自然現象」のことが多いのだが、黒玉は幽霊そのものだ。

 これは女で、先月、神奈川を訪れた時に拾って来た者だと思う。「車の後ろに女が乗っていた」と記した時のがこれだ。あのままべったり貼り付いていたらしい。

 これがうまく抜けてくれれば、もう少し楽になる。

 ①の私は完全に女と重なっているから、かなりキモい。右腕がグネグネと動いて分離し、ようやく四枚目で平常に戻った。

 

 初めてこの神社に来たのは、既に六七年前のことで、初回に神社猫のトラに会い、それから交流が始まった。

 トラはこの世を去り、私はまた一人になったが、ちょうど最初の頃と同じように、持病を抱えてヨロヨロと参道を歩いている。

 あの時の状態に戻った、ということだ。