



◎亡者の群れ (一年前の振り返り)
画像は昨年の十月二日に撮影したものだ。
この日、これを撮影出来たことで、長い間抱えて来た謎がひとつ解明出来た。
その「謎」とはこういう内容だ。
子どもの頃から同じ夢を観る。
夢の中の私は、様々な場所にいるのだが、遠くの方から群衆が私のいる方に向かって進んで来る。
五六百㍍ほどに近付いたところで、その群衆の顔ぶれが分かるのだが、到底、「この世の者とは思われぬ」者たちだった。
ゾンビみたいな風体の者や、蜘蛛みたいに手足の長い者、カラス天狗みたいな顔をした者たちだった。要するに「亡者」の群衆が押し寄せて来る。
追いつかれては堪らないので、私は亡者に背中を向けて逃げようとするが、その私の逃げる方向に群れがついて来る。亡者たちが目指していたのは、この私だった。
夢はそんな内容だ。
「謎」とは、「どうしてそんな内容の夢を何百回も繰り返し観るのか」ということだ。
この日。境内には幾らか人がいたので、人が少なくなるのを待って、神殿のガラス面を撮影することにした。
当初、この行為は「自身の周囲に煙玉が出ていないかを確かめる」のが目的だった。
従前より、画像の中の私に煙玉が出ると、何かしら重い病気になるので、もしそれが出れば予兆であり、シグナルになると考えたのだ。
ところが、実際に撮影を重ねると、煙玉以外のもの、すなわち人影が映ることが分かった。この場合の「人影」とは、もちろん、「そこにはいない筈の人影」ということだ。
何百枚も撮影しているので、「どういう環境・条件で写りやすいか」も判明しているが、ここでは省略する。
さて、この時、神殿の前には、男性が一人いるだけだった。
チェック柄のシャツを着た三十台くらいの男性になる。これが一枚目だ。
二枚目は、私のセルフィーになるのだが、しかし、ガラスには私の他に複数の人影が映っている。
ガラス映りなので、いつも不鮮明なのだが、この日は割と区別しやすい方になる。
すぐに目に付くのが、すぐ右手の男性だ。
鞄を肩から下げており、先程の実在の男性とそっくりな服装をしているが、実在の参拝客は短髪だったのに対し、こちらは髪の裾が長い。
ちなみに、「ちょっと見では分かり難いような出方をする」のが、「この世ならぬ者」の常とう手段で、その場に居る者と見分けがつかない紛争をしていたりする。
時には、同じ人物が一枚の画像の中に二人写っていることもあるから、よく調べると、この種の画像を発見できるかもしれない。
姿かたちを言うより先に、その男が何をしているかを見れば、先程の人と同一人ではないことが分かる。二枚目の右背後の男は、私の胸元に手を差し入れているのだ。
この位置に人がいて、自分の胸元に手を伸ばすものがいれば、私でなく誰でも必ずそれと気付く。
次が私の左側で、肩口から女の白い顔が半分覗いているし、私の左腕にしがみつく白い腕が見えている。こちらはむしろ判別が容易かもしれない。
この女は時々、私の周りに現れるので、私は「白い女」と呼ぶようになった。
「白い女」は肩の出るワン-スを着ているが、背中は腰の辺りまで裸だから、ほとんど半裸だ。
視線を元に戻すと、右手の男の後ろには、黒い人影が複数連なっている。
いずれも「前の者に手を添えている」から、あたかも「ムカデ行列」をしているかのようだ。
私はその隊列の先頭に立っているのだ。
ここで冒頭の話に戻るが、この画像を見た瞬間、私は「これだったのか」と手を打った。
昔から、何百回も夢に観て来たものと構図がまったく同じだった。
あれは、ただの夢ではなく、「現実に起きていること」を表していたのだった。
その後、分かったことは、次の内容だ。
1)私からは、常時、「煙玉」が出ており、それを目当てに幽霊が集まる。
何故、自分から出ていることが判明したかというと、「どんな場所に行っても煙玉が出るから」だ。これはすなわち、「場所」ではなく「私」の方に由来するということだ。
神社猫のトラは、五十㍍離れたところでも私を認め、走り寄って来たが、この「煙玉」を目印にしていたということだろう。
この猫からはオレンジ色の煙玉が出ていた。
2)(上の補足)煙玉は殆ど「自然現象」であることが多いのだが、まれに「説明の出来ない現象」であることがある。そして、そのタイプの煙玉は、「幽霊からも見える」。
霊現象は人間の可視域の境界をまたぐから、人間の眼では感知出来ないことが多い。しかし、赤外線には少し反応するので、人間より反応域の広いカメラでのみ撮影できることがある。
3)そうなると、いわゆる「幽霊」は「精神世界」に存在するのではなく、「物理的」に存在している可能性が極めて高い。
肉体が滅んでも、おそらく「自意識」は何らかのかたちで残る。もちろん、物理的法則に従うのであれば、いずれはこれも滅んで、かたちを変えることになる。
4)要するに、ひと言で言えば、幽霊(幽界の霊)は「死後の残存自我」だということ。人間の知覚範囲から外れていることが多いので、検知し難いだけ。これは空気と同じ。(ひとまずここまで)
ちなみに、何故、私の周りで「煙玉が出やすい」のかという理由は、おそらく「心臓が止まったことがある」ことと無縁ではないと思う。
若干、脱線したが、かくして、「幽界ウォッチング」は今後も続く。
多少急がねばならないのは、私はそれほど長くは生きていられないので、「死後、どのように振舞えばよいか」を見付けて置く必要があることによる。
いつも書く通り、きちんと決まりを守って付き合う分には、幽霊(幽界)はそれほど怖ろしいものではない。実際、私は淫魔みたいなヤツ(白い女)や、妖怪や蛇みたいなコテコテの悪霊に掴まれたりするが、別段、何も起きてはいない。
幽霊は「こころ」に働き掛けることが大半で、物理的な影響をもたらすことはまれだ(もちろん、ゼロではない)。
このため、小説や映画みたいなことは滅多に起きない。
ただ、影響が少ないのは「決まりを守っている」場合に限られる。
いざ一線を踏み越えてしまうと、「報復が延々と続き、終わることが無い」という点では、ホラー映画や小説よりもはるかに怖ろしい面もある。