◎寛永銭 「未勘銭・延展・俯永手破冠寶」の周縁
収集家がコレクションを抱えたまま亡くなると、家族はその整理に困る。子や孫がコレクションに興味を持ってくれれば良いのだが、往々にしてそうでないことが多い。
遺産としてコレクションを一括処分するとなると、概ね購入時の二割五分から三割程度の買い取り額となってしまう。これは、骨董・古物は本来的に「足が遅い」のと、相当数が売れ残るためだ。
重病になり、先を見越して売却を始める人もいるが、残された期間によって滞貨となってしまう。やはり、収集の際に費やした時間に相当するくらいの期間がないと有利には売却できない。
三割と言うと、理不尽な気もするが、買い取る側は、通常は「必要なものだけ引き取る」のではなく、「総てを一切合切引き取る」ことになるので、様々な償却分を見込む必要が生じる。よって売り手を騙しているわけでもない。
十年前に病気をしてから、先を見越してコレクションの売却を始めたが、ようやく床が見え、郷里の倉庫も片付いて来た。目減り率もそれほど悪くない。
六割水準は確保したと思う。
程なく処分を終え、残ったものは資料館等に寄付するか、専門誌経由で売却処分することになる。毎年、相当な量を売って来たが、やはりこれだけの年数を必要とした。
既に残りは少ないのだが、やはり気になっていた品は、幾つか手元に残っている。
この「俯永手破冠寶」もそのひとつだ。
七八年前に調べたところでは、東日本で「濶縁手」の存在が確認できたのは、十三品だった。そのうちの三品が私の所蔵品だったのだが、出版活動の資金繰りのため、二品を売却した。
面白いのは、製造工法が独特なことで、延展銭の流れを汲むことは確かだが、手順が少し違うようだ。既に詳述済みなので、ここでの言及は避けるが、よく似た工法と言える「延展銭」と「踏潰銭」を隔てるのは「大掛かりな削字」の有無になる。
その区分法では、この「延展俯永手」も僅かながら削字を加えており、工法上は「踏潰」寄りの筈だが、出来銭に対する面背の研ぎの程度が少ないので、少し違って見える。
「延展」に近く、「踏潰」の親戚ではあるようだが、同じ製作の「小字手」もあるので、全体像が未消化のままとなっている。
とはいえ、私の収集生活はもはやここまでだろうから、そろそろ年齢が若く、体力が十分な人に研究を託す方がよいだろうと思う。
もちろん、これは難物だ。未勘銭の名品に「文久様」という銭種があるが、こちらはそれより製作がよく、堂々たる銭容をしている。
実見したことのある人は僅かだから、「値を振れる」人が少ないだろうと思う。
市場に出ていないと、どういう値を付ければよいか判断するのは難しい。
(もちろん、集めた方は投下した金額があるから、十分に分かっている。)
今はどういうかたちで次の人に渡すかを思案しているところだ。