日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 『未勘銭 延展俯永手』の周縁

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◎古貨幣迷宮事件簿 『未勘銭 延展俯永手』の周縁

 この銭種については、過去に幾度かウェブで紹介し、専門誌にも小報告をしたことがある。「延展俯永手」は「知る人ぞ知る」の名品で、古拓本にも幾つか掲載されているようだ。

 風貌から見て、密鋳銭の類なのだろうが、如何せん存在数が希少なので研究がまったく進まない。三十年近く発見に努めて来たが、市場には全く出て来ない銭種なので、選り出しに賭けるしか方法がなかった。

 同銭種濶縁はトータル三枚を所有していたが、二枚は既に手放した。最も立派な濶縁銭のみを手元に置いていた。輪幅は他二枚とそれほど大きな違いは無いのだが、さらに広く見える(大濶縁)のは、「状態が良かった」ということだろう。

 七年くらい前に東日本の収集家の蔵中にどれくらい保有されているかを調べたことがあるが、計13枚だった。西日本での存在数は不明だが、恐らく東北地方で生まれ、あまり流通しなかったものと見られる。

 

 「直写し」については、恐らく数万枚の時点で発見したと思う。金質・仕上げ方法など特徴が同一である。この品の発見により、この銭種が「本座深川の俯永から派生した」ことが確定された。

 銭影を重ねてみると、同「俯永手」は「仙台削頭千」にも極めて近似している。

 ただどちらに対しても小異があるから、削字が加えられたことは疑いない。

 ちなみに、この照合作業を通じ、本座深川俯永と削頭千の面文が95%以上一致することが分かった。これは「新規に文字を書いた」ものでも、あるいは「写した」ものでも無いことを意味する。

 恐らくは、まず俯永の拓本を採り、これを金属板に貼りつけ、なぞるように掘り進めたということだろう。その際に、彫り手の加減で微細な相違点が生じたということである。

 

 「小字手」は選り銭を始めて十万枚を超えた後にたまたま発見した。

 ビニールシートの上に、当四銭をぶちまけたのだが、山の上に背(裏)面の波に見覚えのある銭が載っていた。少なからずドキッとしたが、表を見てさらに驚いた。

 それまで「俯永しかない」と思い込んでいたが、面文は小字だった。

 たぶん同一の手(鋳銭職人)が複数の銭種を作った、という「当たり前の事実」に当たったわけだが、このため、新たに分類名称を考える必要が生じた。

 俯永だけなら、「俯永手破冠寶(瑕寶)」で済むが、別に「小字」もある。恐らくは「正字」もあるのだろうが、この銭種を認識するためには、鋳造工程・制作手順に精通する必要がある。

 「東日本に13枚」の存在状況で、果たしてこの銭種が一般収集家に周知される日が来るのかどうか。何せ、「三十年の間、これと決めて集めて数枚程度」の状況だ。

 ただ、それと知らずに誰かが所有している可能性も無くはない。「製作の違う密鋳銭だ」と思ってもいるだろうが、これが「延展銭」と「踏潰銭」との中間的な特徴があることについて、それと認識出来る人は少ない。

 収集家は型(面背)のバラエティに着目することが多いのだが、この銭種の認知に当たっては、「どうやって作ったか(製造工程)」について検証する姿勢を持たぬと違いがまるで分からぬと思う。

 

 最も似た銭種は、踏潰銭の濶縁手(踏潰に延展加工を施した銭種)だが、共通点と相違点を観察するには、常にこれを傍に置く必要がある。

 

 さて、収集生活も終わりに近づき、この銭種もいよいよ手放す日が近づいたようだ。

 この土日くらいに、公式ウェブ(九戸戦始末記─)の方で入札開示しようと思う。

 もちろん、安くはない。市場相場も無いわけだが、金錢を出しても買えぬ銭種のひとつだ。これを見られるのは、四五人程度だと思うので、その人たちが見ていればそれでよいと思う。あとは今の時世で趣味道楽に投資できるかどうかということだけ。

 注記)いつもながら一発書き殴りで推敲・校正をしません。不首尾はあると思いますがご高察ください。