日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「霧の中から」 一年前の振り返り

f:id:seiichiconan:20201120053606j:plain
f:id:seiichiconan:20201120053556j:plain
f:id:seiichiconan:20201120053544j:plain
f:id:seiichiconan:20201120053533j:plain
f:id:seiichiconan:20201120053524j:plain
令和元年十二月九日撮影

◎「霧の中から」 一年前の振り返り

 時間が経つと、同時進行的には分からなかった状況が、次第に見えるようになる。

 興奮が冷め、冷静に見直すことが出来るようになるわけだ。

 そこで、一年くらい前に経験した「説明のつかない」出来事を振り返るようにしている。

 

 画像は昨年の十二月初めに撮影したものだ。

 既に午後四時を過ぎた辺りで、この日は曇っていたから、薄暗くなっている。

 境内には人が居らず、神殿内で七五三のお祓いをして貰う家族がいるだけのよう。

 

 神殿の前で撮影すると、周囲に人がまったくいなかったのに、右手に男の後ろ姿が写っていた。両耳が見えており、疑いなく人間のシルエットだ。

 相撲取りかレスラーみたいながっちりした体をしている。

 「ま、こういうのは通行霊だから、特に問題なし」

 そう思ったのだが、「男」の向こうに視線を向けると、なにやら別のものが見えた。

 遠目だと、髑髏のような顔をした「何か」だ。

 「まるでT8000みたいだな」

 SF映画並みだが、特に驚かない。

 幽界では、生き延びるために同じ心持ちを有する魂が同化合体し、自我・自意識を強化する。それを繰り返しているうちに、かたちが徐々に変化して行く。

 元々、心象で形成される世界だし、悪意が強くなれば、「妖怪」にも「獣」にもなる。

 

 しかし、遠目では髑髏だが、接近すると事情が少し違うようだ。

 複数の視線があちこちから見ている。

 また、画像を拡大すると、まったく別のものが見えて来る。

 「ピントがうまく合わない」「拡大縮小で見え方が異なる」みたいなことは、この手の写真にはよく起きる。

 ただ、「レスラー」は完全にその場に存在しない「説明のつかない」像だと言えるが、髑髏顔は、「眼の錯覚」の余地を残している。

 これは「そんなもんだ」と思えばよろしい。

 

 さらに拡大すると、霧の中にシルエットが浮かんで来る。

 「これは幾度も見たことがあるなあ」

 女性と子どもからなる二人ひと組の人影だ。この場で幾度か目にしている。

 女性の方は、いつも私の方を見て手を合わせているのだが、やはりこれもそうなのだろう。

 「助けてくれ」という意味だ。

 

 周囲はまるで「幽界の霧」のよう。

 テレビの「放送休止」画面に似ているが、それと違うのは、時々、人の顔や姿が浮かんで来ることだ。

 ちなみに、第六感(想像や妄想)を高めるには、「放送休止画面を眺める」という手段もある。あのザラザラした画面や、「音」が刺激になる。とりわけ「音」の方は、「静寂の音」によく似ている。

 可視域との兼ね合いもあるから、何も見えぬままの人が多いと思うが、もし見方のコツが分かってしまうと、後が煩わしくなるから、あまりお勧めはしない。

 

 と、ここまで来て、最初の画像から全部繋がっていることが分かる。

 同じ位置に異常が出ているわけだが、そうなると、最初の煙玉状のヤツは純然たる自然現象ではなく、「男」や「霧」に関係しているということなのだろう。

 

 「男」は「まだ準備が出来ていない」ので放置。まだ自分だけの世界で暮らしている。

 「母子」はこれが「幽霊」だろうが「眼の錯覚」だろうが、ここは「ご供養をする」のが「地獄のセオリー」だ。

 少なくとも、私自身の心が少し軽くなる。

 色々と「しちくさい言い訳」をごねるより、さっさと認めて先に進んだ方が改善に役立つ。

 

 ちなみに「地獄のセオリー」とは、次のよく知られた問答だ。

 「悪いことをしたら地獄に落とされ、永遠に苦しめられる。さてどうすればよいか」

 これが最初の質問だ。

 しかし、回答に繋がる選択肢は幾つかある。

 「地獄がある」「地獄が無い」のいずれかと見なすことで、考え方が違って来る。

 「地獄が無いなら、何をやっても構わない。死ねばそこで終わり」

 こういう意見もある。

 だが、表のとおり、最も効率的な対処法は、「それ(地獄)があると思って対処する」ということだ。そのことで「苦しむ」可能性が激減する。思想信条ではなく合理性の話だ。

 

 「助けて」と乞われて、「たぶん、助けられるだろうな」と思えるようになると、やはり心が軽くなる。生きた人間には「知識」や「知恵」があり、これが欲望と結び付いて硬直していることがあるが、幽霊にはそれが無い。