◎この人は誰?
病棟では退屈なので、「この人は誰?」クイズで遊んでいる。
検査などの時に、いちいち「お名前は?」と訊かれるのだが、それに別人の名前を答え、看護師が誰かを言い当てられれば、それで1ポイントだ。
主に70年代末から80年代くらいが対象だ。
昨日はこう。ちなみに、相手は45歳のオヤジ看護師になる。
「お名前は?」
「今日(の私)は小坂一也です」
もし知っていたら、「ではこれからが本題です。さて小坂一也さんの奥さんは誰でしたか?」と続く筈だったが、その前にアウト。
奥さんの十朱幸代さんの方は、平成になっても活躍していたと思うが、70年後半の生まれにとっては既に朧気な存在らしい。
この人は映画やドラマで一世を風靡した美人女優だ。
シャープな方では岩下志麻さん、ソフトな方では十朱さんだろうな。
小坂さんは外見の印象が「不倫は文化」の石田純一さんに似ている。小坂さんの方はバリバリの歌手で俳優だったのだが、女出入りが「やたら激しかった」ところがさらにそっくり。
時代を超え、「いつも同じポジション」のキャラが存在するような気がするが、同じ位置に新しい担当が嵌ると、前の人はあっさり捨てられる。
結果的に、時代は移り変わっても、「同じキャラ枠」だけが存在し続ける。
ところで、「女出入りがやたら激しかった」に戻るが、あのアインシュタインも印象とは違い、「激しかった」口らしい。
この人は小奇麗な女性を見ると、とにかく口説いたそうだ。
アインシュタインと言えば、マリリン・モンローとの小話があるが、あの小話が生まれる伏線は「スケベオヤジだった」ところにあったということだ。
背景を知って言うのと、知らずに語るのでは、重みが全然違う気がする。
明治の元勲、伊藤博文も「やたら女好き」で、晩年に至っても、女性を口説いたそうだ。
誰の奥さんだろうがお構いなし。これはまあ、有名な話で意外ではない。
昔は「女好き」にもそれなりの市民権があったが、今の日本では既婚男性が不倫をしたりすると、大騒ぎに騒ぐ。
水泳選手が浮気をしたくらいで、スポーツ団体から何かの役職や資格を剥奪されたりする。
「おいおい。それってプライベートの話ではないか」と違和感を覚えるのは、少数派なようだ。
でも、競技成績で選んでいるのに、「女」で取り上げるのはどうなのか。それなら、レースをスタートする前に身上書をチェックしろよな。
スポーツ選手なのに、「聖人」や「坊さん」を目指さねばならんのか。
不倫に文句を言ってよいのは、当事者(奥さんや愛人)とCMのイメージが損なわれる契約企業くらいで、あとはほとんど関係ないと思う。
刑事事件じゃあるめいし(ここだけ小池調)。
こういう風潮がエスカレートして「仲間で賭けマージャンをしたから五輪資格はく奪」みたいになったら、息苦しいこと甚だなし。
それを一般人まで参加して非難合戦だ。
偉そうに「公費を払っているのに」と言うバカもいる。スポーツ選手への助成なんて、たかだか数百万だ。一度や二度の海外遠征にも足りない話だ。
ここは、世界有数のスポーツ選手なんだから、「下半身だって超一流」だっていう受け止め方が出来んのか!
「以後気を付けろよ」「多少のことは眼を瞑るから、その分良い成績を出せよな」と言えんのか!
そんなことじゃあ、「三年くらい前に闇カジノに数度行ったことがあります」と正直に申告した好青年に対し、「五輪資格はく奪」を言い渡すような「狭量な社会」になってしまう。
こりゃ現実にいたなあ。とこれがオチ。
黙っていれば問題なし。指摘されたら「証拠を出してみろ」でとぼけられる。
刑法犯罪は第三者が「見たような気がする」「そこにいたような気がする」くらいでは証拠にならないからだ。大体、居たことが実証されても、賭博行為を行っていたことが実証されなければ、不起訴、すなわち無実だ。
となると、刑事で摘発されたわけでも、民事で訴訟を起こされたわけでもない。
日本社会は、その選手が正直に申告したことを「褒める」どころか、「罰する」ような「ケツの穴の小ささ」だ。
小さい、小さい。
これじゃあ、もはやこの後、日本に伊藤博文は出ない。
またこの人みたいな政治家が出て、どこかのタカリ国を罵倒してもらいたいのに。
最後に、理不尽な試練を越え、あのバドミントン選手選手の表情はすごく柔和になっている、と付け足して置く。
かなり脱線した。
「女好き」にはなれても、「アインシュタイン」には絶対無理だな。
はい、どんとはれ。
(もちろん、誇張して書いているのは言うまでもない。こういうのにイチイチ腹を立てるのがネットの世界だ。あきれる。)