◎病棟日誌 悲喜交々 6/24 「誠実さが武器」
24日土曜の担当は、またもやユキコさんだった。
ユキコさんは問診が丁寧で、かつ色んな助言をくれる。
「少し運動をして体力を戻す工夫をした方が良いですよ。外出していますか?」
「買い物にも行ってませんね。家の中で寝たり起きたり」
実際それしか出来んのだ。十日くらいでまた何キロか痩せたから、筋力が覿面に落ちた。
短期間にハードなダイエットをした時と同じで、脂肪ではなく筋肉組織を分解してエネルギーに替える。ダイエットは食べて筋肉量を落とさぬようにして、脂肪を燃焼させぬとマイナスの効果ばかり生む。
「名栗とか青梅でも行こうかな。この季節は青葉がきれいだから」
「そりゃいいですね。塩船観音寺などどうですか」
「え。つつじはもう終わってますけど」
「今は紫陽花がきれいです。それとつつじもあの鮮やかな花が終わった後の青葉がきれいです」
「青葉がきれい」か。山家で育ったから、木々の違いもよく観察している。
六月と言えば「新緑と雨」で、独特の風情がある。日がなこの二つを眺めていても飽きが来ない。
話をしながらユキコさんを観察した。
年齢の割には肌が白く滑々だ。皺シミひとつ見えない。
年を取ると、顔かたちや体型などどうでもよくなり、肌の美しさが最優先になる。
ま、「隣で寝る」ことをイメージするから自然とそうなる。
ここでついユキコさんについて観察したことを口に出してしまう。
「二十五年は海に行ってませんね。日焼けの痕が一切ない。夏場は黒い布で全身を覆っている」
「え。行ってますよ」
「じゃあ、顔もすっぽり黒いマスクで覆ってましたね。最後は何時頃?」
「息子と一緒に二十年くらい前」
それじゃあ、「行ってねえ」じゃねえか(w)。
ここでついスイッチが入る。
「二の腕の筋肉が左右で歴然と違う。これはゴルフをやる人の特徴だ。テニスをやればテニスの、バスケをやればバスケの影響が現れる。でも、日焼けの痕が一切ないから「ゴルフ」と矛盾している。幾ら隠しても目の周りが日焼けのするのがゴルフ愛好家だ。でも二の腕は疑いなくゴルフで、かなり好きな方。ということは、コースに出る時には全身を日除けで覆い、グラサンをしている。相当気を付けてますね」
「ゴルフはやります。夫があまりゴルフが好きではないので、一人で行ったりします」
独りでコースを回るのか。えれー好きなんだな。
「人間観察が好きなんですね。私も好きですけど」
「元は面接をするのが仕事のようなものでしたし、今はひとの心の筋道を知る・量るのが商売のようなもののです」
「その方面で最近、何か面白いことがありましたか?」
「女優とダブル不倫をしたシェフですね。あの人は面白い。自立した女性に最ももてるのはあんな感じの人です」
これまで何千人も生態を調べ、またナイトビジネスの知人を通じ色んな人の状況を収集したが、「出来る女性」が最も好むのはあの手の男だ。
「ハンサムとはほど遠い。ずんぐりむっくり」で、不細工と言っても良いほど。
他では「饒舌に話す方ではない。むしろ寡黙」という特徴がある。
もちろん、悪い話ばかりではない。
「一芸を持っている」。それこそ料理人とか、芸術家・刀鍛冶など職人のような専門的職業についている。
と来て、こういう人の最大の武器は「とにかく誠実に他者に接する」という点だ。
自分を誇るところが微塵もなく、話をする時には主に聞き役だ。さらには話の主語が常に相手の側の目線になっている。その人のために本当に何が良いのかを考え、助言してくれる。批判めいたことも言うが、相手にとって良かれと思う気持ちがあるから、相手にもそれが伝わる。
これが「自分にとって本当に大切な人は敢えて苦言を呈してくれる人」だということを知る者の心には響く。
だから、己の力で生きる「自立した女性」にとっては、心地よい存在だ。
「起業家の女性で、それが上手く行っており、聡明でかつかなりの美人」みたいな女性が一緒にいるのは、あの手の「ずんぐりむっくり」だ。
同じ「ずんぐりむっくり」でも、※リ※モンなんかは女性にはもてない。自分に過度の自信があり、「自らを誇る」姿勢が女性には嫌われる。その手の男に寄って来る女性には、別の目的がある。
夜の部活に行けば、上客だけにホステスがちやほやしてくれるが、この男が帰った後、ホステスたちいは「あのブタ」と呼ぶ。
「でも奥さんや子どもがいますよ」
「自立した女性はそんなのを気にしません。それに『妻や子供を一番に大切にしている』というのも、条件のひとつです」
「結局は不倫してますから、矛盾してますけど」
「そこはそれ、最後の一線では『自ロ他不』という原則があります。欲望はどんな男にもありますからね」
面白いのはここからだ。
自立女性は「奥さんと別れて、私と結婚して」とはけして言わない。「ずんぐりむっくり」の方もそんな気持ちはさらさらない。妻子を一番に大切にしているからだ。
「ずんぐり」が世慣れた者であれば、早期の内に「別れ」を想定し、ニ三度の情事を経たところで「涙の別れ」を迎える。
二十台から三十台にかけては、夜の世界を裏側から眺める機会がよくあったが、こんな感じの「ずんぐりむっくり」が時々いた。いつも聡明な美人を連れており、しかもその相手が時々替わる。
同じ「ずんぐり」派としては、妬ましいような、癪に触るような思いがした。
こういうのは男女逆バージョンでも同じだ。
「稀代の女結婚詐欺師」の多くはルックス的には不細工なことが多い。
何十人もの男を手玉に取り、億単位の金を巻き上げる。
あれを見て、多くの人が「あんなブスに金を払うのか」と疑問に思った筈だ。
だが、やはり武器は「誠実さ」で、尋常ではないくらい男の心を汲んでくれる。
感動するほどの気配りがあるから、ついほだされる。
行き詰り、警察に捕まってしまうのは、まだ「三流」の域で、一流の女詐欺師は、「金をくれ」とはひと言も言わないのに、男が勝手に金を持って来てくれる。そして、自分が騙されていることにも気付かない。
で、最も大切なことは、女の方にも男を騙そうという心積もりがまったく無いことだ。
何故なら、心中が誠実さの塊で、相手によりその都度「目の前の相手」にとって何が良いのかを考える。誰に対しても同じだから、男たちの側からしてみれば「自分一人が特別な存在というわけではない」ということ。要はこれが「騙されている」のと同じ意味になる。
女のもたらす罠になかなか気が付かぬのは、女の方に騙す気持ちが微塵も無いからで、そんな魂胆があれば他人のことは騙せない。
ここでも詐欺師側にすれば、男性がどこまで「自ロ他不」を信じてくれるかにかかっている。
分岐点はやはりそこなんだな。
さて、話は最初の「ずんぐりむっくり」に移る。
「不倫の事実が大々的に報道された後も、シェフの方は歯切れが悪かった。あれは本心では女房子供と別れたくないと思っているからです。相手が悪かったし、自分が世慣れていなかった。交換日記や手紙を持ち出すのは、当事者かその周囲の者しか出来ぬことですが、シェフの奥さんや女優の旦那さんではあり得ない。となると、外に出したのは女優さん本人ですね」
目的は「双方が離婚して、二人が一緒になること」で、自分を束縛せず放任してくれる相手を求めている。
長話をしたので、ユキコさんの見解は聞けなかった。
最後の推理に間違いはないと思うが、どんなもんか。