日刊早坂ノボル新聞

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◎ついに周囲が「小鬼」の存在を認める

ついに周囲が「小鬼」の存在を認める

 四日火曜は通院日。

 朝、自分のベッドに座り、順番を待つ間にこの日のビデオをセットしようとした。

 何せ前後含め最低五時間は横になっているから、普通の映画なら二本ほど観られる。

 音が周囲に洩れぬように、イヤホンを着けて観るのだが、筆入れからイヤホンを取り出し、ベッドの中央に置いた。

 体温を測り、「さて、モニターにプラグを差し込もう」とイヤホンを取ろうとしたが、何故かベッドの上にない。

 ほんの二十秒前にベッドのど真ん中に置いたはずなのに。

 布団をめくり、タオルを全部取り外しても、どこにも見当たらない。

 

 「うーん。また小鬼が出たかあ」

 この手のことは時々起きる。認知症でボケかかっているわけではなく、要因が推定不明の紛失事件が実際に起きている。

 ベッドの上の物だから、人の手が関わっている。だがその場にいたのは私一人で、私は座って体温を測っていた。

 イヤホンが無いと、映画もテレビも観られず、スマホのゲームさえ触れなくなってしまう。

 こりゃ困ったぞ。

 

 ここに看護師のユキコさんがやって来た。ユキコさんは山家の育ちなので、私とは話が合う。

 私は山村へき地出身の人を露骨にえこひいきすることにしている。最上級の特別扱いだ。

 「どうしましたか?」

 「いや、また小鬼が出たらしくて、イヤホンが無くなった。ベッドの上に置いたのに」

 前に止血バンドが消えた時も、目の前のカウンターの上に置いたのに、振り返ったら消えていた。

 あれは病棟から完全に姿を消し、どこからも出て来ない。

 「じゃあ探しましょう」

 ユキコさんがベッドのマットレスを引っ繰り返す。

 すると、すぐにユキコさんが声を上げた。

 「あった、あった。ありましたよ」

 イヤホンはベッドの真下に、ベッドの縦向きの方向に長く一直線になるように落ちていた。

 

 「いやあ、たまたま落ちていただけ・・・、なわけがないな」

 そう言うと、ユキコさんは先ほどの言葉を耳にとめていたらしく、私に訊いて来た。

 「さっき、小鬼っておっしゃってましたけど」

 

 そこで、私の周りには「悪戯ものの小鬼か妖怪のようなものいて、時々悪さをする」と説明した。

 ちなみに、ユキコさんには、私の撮影した心霊写真を見せたことがある。

 鮮明で言い逃れが出来ぬ性質のものは、ネットで公開などせずに、すぐに捨ててしまう。

 「見ると悪影響が出る」ことがあるからだが、ユキコさんに見せたのはぎりぎりセーフの水準だった。

 だが、あの画像を観た後に悪夢を観たし、ショックで少しトラウマ気味になったそうだ。

 

 今回の件については、ユキコさんも感心していた。

 「本当にこういうことが起きるんですねえ」

 文字で書くと、「紛失したかと思ったイヤホンがベッドの下に落ちていた」になり、「別に当たり前のこと」のように思える。

 だが、ベッドの「縦方向に沿って一直線に置いてあった」のは、すなわち「ベッドを通過して床に落ちた」か、「誰かがベッドの下に置いた」以外には無く、後者の場合は、ベッドの下にかがみ込んで、奥に差し込むしかありえない。

 もちろん、私の狂言で自作自演を疑われるケースもあるわけだが、その行動には何の意味もない。

 単なる「訳の分からぬひと」「イカれたひと」の振る舞いだ。

 

 この会話を隣のベッドの「アラ四十女子患者」が聴いていた。(ちなみに、隣に入った時には三十台の初めだったが、年月が経ち四十くらいになった。)

 「小鬼ってどういうものなんですか?」

 「外見は子どもだけど、妖怪のような姿をしている。私の傍にいるのは猫顔のヤツだね。コイツが悪戯好きで、時々『構ってくれ』とばかりに悪さをする」

 話しながら、「俺はついに外でイカれた話をするようになったか」とゲンナリした。

 突拍子もない話だが、看護師のユキコさんは、実際に見ているので、真顔で聞いていた。

 「前のあの写真みたいな?」

 「いや、こっちは特に害はないです。神社で撮影したので、これが実在しているのは明白ですね」

 アラ四十女子が「ふーん。そんなことがあるんだあ。見てみたいような気がするなあ」と言う。

 

 ここでユキコさんが「見ても大丈夫なものですか」と訊いて来た。

 「ああ、大丈夫ですよ。次に持って来ますから」

 これはブログで公開できるヤツだから問題なし。

 

 最近、コイツの正体が分かって来たが、これはこの神社に居る者でも、ガラスの前に居た男性に取り憑いていた者でもなく、私に関わる者だ。

 私の後ろには、常時、「亡者の群れ」もしくは「百鬼夜行」がついているのだが、時々、前に出て来て自己主張をする。

 はっきりと「思い当たるふし」があるのだが、それは先日の神社での祈願内容だ。

 画像の中の自分自身が「黒いひとに抱き付かれている」ことを悟ったので、私は祈願をした。

 「もし私が死んだら、母との約束があり、先に母と一緒に世界を見て回る。マチュピチュとかアンコールワットだ。それが終わったら、お前たちとの約束を守り、あの世の水先案内人になる」

 あるいは、渡し守の船頭だ。だから、もう少し時間の猶予をくれ。

 そして、こういう祈願をしたその日の夜から、両脚先の酷い痛みが消えた。

 今日五日はこれから脚の動脈の検査なのだが、もしかするとカテーテル治療はまだ要らぬかもしれん。

 腎臓が悪いので、動脈硬化が加速度的に進行しているから、いずうれは脚を切るかもしれんし、この世ともおさらばだ。

 普通の生活の二割で良いから、自由に使える時間をくれれば、少しは役に立つ知見が得られる。

 

 ユキコさんとアラ四十女子患者は、「小鬼」を見たいそうだ。

 ま、悪影響はない。あったら見せない。

 「障り」の怖ろしいところは、いざ始まったらやめては貰えなくなるところだ。

 お祓いをしようが何をしようが、一生続くし、ここから先の話が重要だが、「障りは死んでからも続く」。

 いざ関わったら、自力で解決するしか道はない。

 

 私のする話はいつも突拍子のない話だが、常に何がしかの裏を取ってから言っている。

 神社の前で撮影した「小鬼」(前は「猫わらし」と呼んでいた)は、「到底人間とは思えない」のが明らかだ。

 この画像の凄さは、この小鬼もしくは妖怪ではなく、背景の建物がぐにゃぐにゃに歪んでいるところだ。撮影当時は小鬼ばかり見ていたが、「心霊現象は光を歪める」という典型的な事例になっている。

 うねうねと景色が歪む時には、必ず近くに幽霊がいるのだが、この歪みの原因は小鬼ではなく、ガラスの右側に幽霊が立っているからだ。

 これを見通すのには経験が要るようで、私も最近まで気付かなかった。

 画像であっても、幽霊の周囲からは振動のようなものが出るので、人の姿が鮮明でなくともすぐにそれと分かる。

 それにしても。この屋根のうねり方と来たら、よほど強力な力を持つイリス(女の悪霊)だと思う。

 

 小鬼の話に戻ると、この小鬼は「幽界の霧」の一部が実体化してかたちになった者だと思う。

 あの世の者が何とも説明に困るのは、画像のこの小鬼はゆらゆらと動いているように見える。

 コイツにはさほどの悪影響は無いので、ダウンロードして保存し、拡大して詳細に眺めてみることだ。

 体全体が煙で出来ており、かつ髪の毛の部分の煙が分かりよいが、そよ風になびくように動く。