日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎先見の明

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先見の明

福沢諭吉『脱亜論』抜粋

 「左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前にして毫も意に介することなし。既に従来の国交際上にも屡ば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ」(『時事新報』明治三十(1897)年十月七日)

 

 福沢諭吉先生が時事新報にこの記事を寄稿したのが今から百二十余年前のことだ。

 スゴイ。まさに的のど真ん中を打ち抜いている。

 そもそも、「約束を守る」ことの意味や意義を理解できない者と「共存共栄」など有り得ない。

 隣国のネットでは、中学生(か中学生レベルの知能の持ち主)が「日本など滅びればよい」とシャカリキになって書いているが、事実を検証することすら頭にない。

 これは必然で、今の若い世代は「漢字がまったく読めない」ので、日本や中国の資料を調べられないそうだ。

 よって、「のり弁」的にメディアが「自国に都合の悪い事実」を削除したものだけを見て妄想を巡らし、その印象を書く。最初から最後まで風評の域だ。

 新聞記事も「学生のリポートの方がまだはるかにまし」という水準で、ネットで引いたことに感想文を付ける程度。

 当事者に聴取し「事実を確かめる」という姿勢がそもそもない。メディアの信頼度評価が「世界最低」なのも頷ける。

 

 隣国のさらに北にある国は、隣国大統領のことを「ウスノロ」と評した。

 だが、隣国の大統領は、我々にとっては歴史に残る偉大な人だと思う。

 この人のおかげで、「あの国はただの盗人で詐欺師」だと、おおっぴらに言えるようになった。

 とかく詐欺師は「正義」とか「公正さ」「共益」を看板に掲げるものだが、隣国の「正義」もそれだ。畏まって耳を傾ける方が愚かだ。

 

 福沢先生が一万円札の「顔」になってから久しいが、先生の言葉はまさにこの国に天命を示していると思う。先生の眼力は確かで、冒頭の言葉は今も通用する。

 今を生きる日本人は教えを守り、きっちりと「隣国を捨て、二度と立ち入らない」ことが賢明だと思う。

 自分たちで勝手に生きていけ。

 

 隣国ではこちらの国を「歴史を省みぬ」とよく言うが、「自省しない・できない」のは隣国の方だ。

 戦争中、自分たちは日本人として振るまった。中国にも志願兵が沢山行っている。

 隣国の民は、彼ら自身の言う「戦犯」の一員だと認めない。そのことが、そもそも「歴史の改ざん」だ。

 ま、過去のことはどうでもよい。両国の関りについては、もはや何の未来も無いのだから、とにかく、もう断交して欲しい。

 何を取り決め、何を約束したとしても、概ね二年で「無かったこと」にされる。

 まさに福沢先生の言うとおりだ。

 

 こういう見解は、日本が単に「あの国を嫌っている」ということでも、「差別している」ということでもない。韓国の実態は、今や世界中に知れ渡るようになった。

 それも「ウスノロ大統領」が活発に活動してくれたおかげだろう。

 

 さて、次は旭日旗の話だ。

 「旭日」は人類標準の考え方で言えば、「希望」や「明るい未来」を象徴する。

 昇る太陽に「新しい一日の到来」を重ねる者が多いから、当たり前の話だろう。

 日本では、もちろん、旭日は「民族の象徴」だ。

 日本には八百万の神がいるが、主神は天照大皇神、すなわち太陽になる。

 日本人は「日いずる国」の民なのだから、自身の象徴として旭日を掲げるのは当たり前だ。旭日を民族の象徴とみなす考え方は明治政府が誕生する前からある。

 明治初期に皇軍が誕生する前にも、旭日が貨幣の意匠として用いられた。

 

 旭日旗のことを隣国は「戦犯旗」と言って非難するが、自身がその自身の言葉で言う「戦犯」の一員だった。

 それを隠し、戦勝サイドにいた「ふりをする」ために、見てくれの「正義」を叫び、日本を非難する。

 だが、自身を「被害者の立場に置くこと」自体が歴史の歪曲であり捏造だ。

 中国には志願兵が数万人規模で従軍している。そもそも日本領だった時には、レジスタンス活動すらほとんどやっていない。近代日本は朝鮮半島と戦争をしたこともなければ、軍隊が攻め込んだこともないから、起きようがない。

 

 当家にはもちろん、祝日用に日章旗旭日旗もある。旭日を裏から見ると、逆側、すなわち落日の配置になるが、上る太陽はいずれ必ず沈むし、また再び上る。旭日も落日も違いはなく、同じ太陽だ。

 「日章旗は国の旗、旭日旗は民族の旗」

 「旭日は希望の象徴」

 今後は常に堂々とこう言おうと思う。

 ま、太陽に向かって唾を吐きかければ、どんな結果がもたらされるかは誰もが知る。

 「唾は自身の顔に落ちる」ということだが、そのことが分からぬのはあの国の人だけ。 

 

 ともあれ、今後は「すまなそうな顔をしなくて良い」ということ。

 総て「偉大なウスノロ大統領」の贈り物になる。

 ちなみに、祖父は戦時徴用で働いたし、私はソウルからの出張泥棒の被害に遭っている。隣国に対し、何かを謝罪する理由は無い。

 まずは私自身に「謝罪と賠償」をして欲しい。

 

 その意味では、隣国が「自国の裁判で相手国政府を訴えることが出来る」という先例を示してくれたのは、まことに有難い。

 たぶん、世界初だ。(隣国では「前例がある」と言うが、国際司法裁判所で却下されているから、これも嘘だ。)

 一番喜んでいるのはベトナムだろう。ベトナムの裁判で隣国政府を断罪出来る。

 被害者が三万人いるのは確実だから、賠償額はとてつもない額になる。

 

 隣国民は「自分にとって不利益になりそうな事実」を「頭の中から完全に消し去れる」という類稀なる能力を持っている。

 意図的にそうしているのではなく、元々がそういう頭脳らしい。

 誰もが優秀な詐欺師なのだが、生まれついての持ち分のようだ。

 福沢先生は、まさにそのことを指摘していた。

 彼の国との断交は国是だ。

 何故なら、三十年以上前に「国の顔」たる紙幣の肖像として福沢先生を採用している。

 そろそろ福沢主義に則り、一切の交流を停止すべきだ。

 ゴミ箱を覗いても、中にあるのはゴミだけだ。そこに未来は無い。