日刊早坂ノボル新聞

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◎映画『ミッドウェイ』を観て

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日章旗旭日旗と明治三(1870)年銘 旭日龍五十銭銀貨

映画『ミッドウェイ』を観て

 病棟でビデオを観たが割と面白かった。

 少し驚いたのは「山本五十六海軍大将がハーバード大学に留学していた」ことだ。

 大将はごく普通に英会話が出来たらしい。経歴を調べると、まさに事実だった。

 国内では野球のストライクを「よし」と言い替えさせていた時代のことだが、それも当たり前ではある。

 指揮官であれば、己のことも敵のことも知る必要があるわけで。

 

 大戦の映画だと、日独はひたすら悪辣で残虐非道だったみたいに描かれがちだが、そういうトーンは若干低い。

 ひとまず日本側のことにも敬意が払われている。

 ま、日本軍が病院を攻撃したり、民間人を狙って銃撃したみたいなところは細かく表現されるが、東京に爆弾を落とす場面はチラ見だけだ。現実にはそのチラ見のところで何万人も死んでいる。微妙。

 もちろん、空母が4隻も沈められるところは見るに忍びない。

 

 郷里の寺を訪れると、無縁仏用の部屋がある。その多くは戦死者だが、位牌を見ると沢山の人が二十歳前後で死んでいた。

 人口が数千人かそこらだっただろうから、数十人の戦死者ならかなりの割合だ。

 後で気付いたが、無縁仏の中に数十人なら、きちんと家族によって祀られている仏は百の桁だ。ひとつの村でこうなのだから、国全体では怖ろしい数になる。

 戦争では百何十万人もの人が死んでいるから、「あの人も」「この人も」という状況だった。

 

 そう考えると、戦争で死なずに済む時代に生まれてつくづく幸いだったと思う。

 家人(フィリピン人)の母方の祖父は日本軍に銃殺されたが、男たちが塀際に並ばされてダダダっと撃たれたらしい。要するに「レジスタンスだった」可能性が高い。

 実際、フィリピン人はかなり激しい抵抗運動をした。レジスタンスに襲われるのが怖いから、日本軍が村々を掃討したわけだが、疑わしい者は皆殺しにしただろうと思う。

 家人の祖母は夫を殺された後は七十年近く独りで暮らし、百歳を越えてから亡くなった。

 その孫と結婚した私が「日本人」ということで、家人の親族からは「絶対にお祖母さんのところを訪問してはいけない」と言われていた。過去に日本人のビジネスマンがその地を訪れた時に、そのお祖母さんは「鉈を持って追い掛けた」ことがあったらしい。

 今はそれぞれの末裔たちが同じ家で暮らしている。ここは少し微妙だ。

 当たり前のことだが、戦争で亡くなった同胞のことだけではなく、戦争で殺した相手のことも忘れてはいけない。

 死者に国籍は無く、同じように喪に服すべきで、須らく敬意を払う必要がある。 

 

 ところで、アジア諸国で、近現代を通じ欧米の支配を受けず独立を保ったのは、日本とタイだけ。

 中国とロシアの双方に勝ったことがあるのは日本だけだが、これは「世界で」でも同じだろう。

 もし米国に勝っていれば、日本は世界帝国になっていたが、その場合は、その後も戦前の体制が続いたから、私も兵隊としてどこかの国に従軍していただろうと思う。

 これは、ものすごく微妙だ。

 いずれにせよ、何とも「微妙な気持ち」にさせられる映画だった。

 

 空母や戦艦に旭日旗が翻っているのを見ると、ものすごく感動する。

  旭日章自体は帝国軍(皇軍)が結成されるかなり前から存在し、「日本の象徴のひとつ」と認識されて来た。旭日旗はそれこそ日本民族(大和+先住民)共通の「誇り」なのだから、確りと大切にすべきだ。

 世界の中で一か国だけが、旭日旗を「戦犯旗」などと誹謗するが、「旭日旗は日本の誇り」「旭日は人類にとっての希望の象徴」だとはっきり言い返すことが大切だ。

 その国では事実とかけ離れた戦争映画を作り、その映画を見た中学生が「反日」を叫んでいるそうだ。そんな調子では、話しても相互理解など望めないだろう。

 かたや今の中国人は「旭日旗」を「戦犯旗」などとは言わない。「旗」を恨んでも何も生まれぬからだ。この辺は中国人の方が成熟している。