◎空中に浮いている (一年前の振り返り)
同時進行的には、それと気付かないことが多々ある。そこで頭がすっかり冷めてから、過去の事例を振り返ることにしている。
今回もそういう事例だ。
画像は一年前の一月二十日のものだ。
初詣シーズンが終わり、神社への参拝客がかなり少なくなっている。
これらの画像を撮影し、家に帰って開いて見た時には愕然とした。
その場には、私の前にスーツ姿の男性一人と女性の参拝客が一人の計二人だけ。
後ろははるか遠くに数人だ。
最初の画像で男性客が下がり、前では女性一人が手を合わせていた。
位置は定位置のAより少し外側だった。
この位置のサイズが基準になる。
二枚目では、右側に帰って行く男性客の背中があり、左側にこちらを振り向く女性客と、柱の陰にいる女性客の頭が見える。ここはガラス映像だから、左右が総て逆になる(鏡と同じ)。
ここで気が付いたのは、左右の人物のサイズが著しく違っていたことだ。
一枚目二枚目は私の立ち位置がずれているので、少し調整が必要だが、内門の暖簾と地面との高さの関係を同じにすると、どうやってもサイズが合わない。
ここで、「いずれかが実在の人間では無い」ことが分かる。
この場で確実に「生身の人間」であると確定できるのは私だから、私のサイズを基準にして比較すると、左側二人目の「見返り美人」のサイズが大きすぎることが分かる。
また、立ち位置で見ると、私は内門の内側におり、女性は内門の外にいる。門柱の陰の女性の頭も外側だ。
要するに、女性二人は門より外にいる筈なのに、背丈が大き過ぎる。
右側の女性は2㍍くらい、柱の陰の女性は1㍍75㌢くらいになる。後者は単純に暖簾までの高さによる。
それ以前に、門の外は階段だから、左から二人目の「見返り」女性は「空中に立っていた」ことになる。遠くに石柵が見えているが、これは地面より3㍍は上にあるから、1㍍以上、宙に浮いている。
この画像で驚かされたのは、人影があまりにも鮮明だったことによる。
通常、目視する場合は「ほんの一瞬」だし、直接撮影の場合は「ピントが合わなく」なってしまう。ガラス映像の場合は、「半透明」だったり、「部分的」だったりするから、鮮明に写ることはあまりない。
このケースは、きちんとそれが女性で、どのような服を着ているかがはっきり分かる。顔の表情もはっきりしているし、色合いが鮮やかだ。
その後、5、6回ほど検証のためだけにこの神社に参拝した。
位置関係を調べ、各々の配置を調べることを繰り返して来たわけだが、もはやどうにも「説明のつかない画像」として確定して良いと思う。
こういうのは、「撮影環境の影響でこんな風に写ることもある」というのが実証されれば、むしろ嬉しい事態だ。
仮にこれが幽霊だとすると、「ごく普通に、この世の人の間に混じっている」ことになるからだ。なんの情念も感じられないのに、こうやって普通に佇んでいるということは、「誰もがごく普通に幽霊になる」ということに通じる。
(ちなみに、現在は「総ての人が必ず幽霊のステップを通過する」と思う。)
さて、門柱の陰から顔を出している女性の方は、少し下にある白い部分が同体だと思っていたが、これはどうやら立て看板のようだ。この神社では、内門の中央に立て看板が置かれることがよくあるが、ごく稀に神殿に向かって左側に看板が置かれることもある。
だが、頭は眼鏡をかけた女性で、首から下が無い。
このように顔だけ写ることも可能だが、その場合はそれを意識して、意図的に胴体を後ろに引っ込め、柱の陰から顔を突き出さねばならない。
門の左側は1㍍ほどのステップがあるだけで、その位置でそういう姿勢を取る理由が見当たらない。
繰り返し、開いて見たので、これを撮影したのは「はるか昔」のように感じる。
だが、まだたった一年前のことだ。
補足)一枚目の画像には、外の景色と室内の様子の両方が写っている。
真ん中付近が外の景色で、それを挟んで上下が室内の状況になる。
室内には、下部に左右の足元が写っているが、祭壇の方に向かう男性の後ろ姿になる。
ところが、上に眼を遣ると、少し前にいる女性と手前の女性の二人分しか見えない。
男性の上半身はどこに行ったのやら。
ま、こちらはガラスを通して見た先の話なので、実証は難しいと思う。