日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎頭が剥げる(566)

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令和三年二月十七日撮影

◎頭が剥げる(566)

 一週間ほど、参詣参拝していなかったので、水曜は神社に向かった。

 この時期は外出する度に何かを引き連れて帰るので、何もしないでいると気が滅入るようになる。

 普段と違うのは、水天宮に向かう階段にある石柵に立ち寄ったことくらい。

 このすぐ右手にいわゆる「通り道」があるから、少しくその影響が生じる。

 

 神殿の前で自分自身を撮影すると、一枚目で私の頭がツルッパゲになっていた。

 最近、めっきり薄くなって来たとはいえ、しかし、こんなツルッパゲではない。

 急いで数枚ほど撮影し、車に戻って確認してみた。

 すると、後の画像で私の後ろに剥げた老人の姿があった。

 「なあるほど。どこかで拾っていたわけだな」

 たまたま前に出ていたというわけだ。

 

 あとはごく普通の状態だ。

 何かしらあるように見えても、朧気だし、またこちらに影響を与えるものではない。

 中に外から室内を覗き見る「悪縁らしき姿」があったのだが、室内の神職が女性だったので、「何となく気になって見ていた」のだろう。

 これも影響は無し。

 「助けて欲しい」者が集まっているので、逐一お焼香をすることにした。

 最後の画像はほとんどクリアになっている。

 

追記)この日は最初に「通り道」に近寄ったので、そこから複数の幽霊が後をついて来たようだ。

 

 三枚目の画像右には、上には性根の悪そうな男、下は屋根を歪めて顔のように見せている化け物がいるわけだが、こういう感じのは気にする必要なし。

 不良と同じで、大仰に騒ぎ威嚇して来るのは、力のない証拠でもある。

 筋金入りのヤクザ者がけして「テメー。コノヤロ」と叫んだりしないのと同じ。

 顔がコワいのと本性の悪さとはあまり関係が無い。

 悪いヤツは、物陰に隠れて正体を明かさぬ者で、そうする理由は「明白な悪意がある」ということだ。

 

 こういうことは誰の身にも日常的に起きている。いちいち驚くほどのことでもない。

 これへの対処法は自分自身の精神状態を安定させるだけ。それでこの手のはすぐにいなくなる。心が澄んでいれば、悪縁にとって居心地の悪い環境になる。

 

 信仰心は精神状態を安定するのに寄与するので、何かしら信仰心を持つとそれが武器になる。これは自身が受け入れられるものであれば何でもよい。盲目的に「信じるふり」をするのではなく、よく自分なりに意味を考えること。

 自身の信仰を他者(家族を含む)に無理強いしたりしなければ、どういうものでも可。

 何百回写経をしても、何万回お経を唱えても、ルーティンでやっている限りは何の意味もない。それなら自省することの方がよほど役立つ。

 

 「死ねば終わり」と何も考えず、無防備のまま死期を迎えると、かなり勝手が違う事態に直面する。生命力が落ちるとあの世の者がどんどん乗り込んでくるようになるからだ。そこに至り、慌てて神仏を拝み始める人が多いわけだが、その時はもう遅い。

 最初の着物姿の女性のように、自分が死んでいることを受け入れられずに、ただ茫然と彷徨することになったりする。

 

 日頃、私は「そろそろ溜まって来た」という自覚が生じるから神社やお寺に行くのだが、好きでそうしているわけではなく、「必要がある」ということ。

 既に慣れているので、十分も掛からずクリアに出来るようになった。こういうのは経験がものを言う。

 あの世に関する知識をいくら溜めても、対処法はその人によって異なる。自身の心の状態と相手の本質を見極め、自分自身で見つけて行く外はない。