日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎各々が背後に幽霊を従えている (一年前の振り返り)

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令和二年五月十八日撮影

◎各々が背後に幽霊を従えている (一年前の振り返り)

 幾度も書いているが、桜の時期から梅雨の間は、一年の中で「あの世」に関連する異変が最も少なくなる時期だ。

 このため、一年前の画像を検索しても、この時期のものはほとんど見付からない。

 この時期にしては、冒頭に掲示したような画像は珍しい。

 よほど光の量、日航の角度、交錯状況がマッチしていたらしい。

 

 と言っても、やはり秋冬に比べると、かなり朧気だ。

 この日は、最初、神殿前には私一人しかいなかったのだが、恐縮ながら、他の客が来るまで待って撮影させて貰った。

 他の客を撮影するのは、ひとつの仮説を持っていたからだ。

 「恐らく、誰の身にも幽霊が寄り付いたり、離れたりしている」

 幽霊はひとの感情に共感して寄り付くのだから、その時々のひとの心情の具合で、周囲の幽霊が引き寄せられるのではないか。

 そう考えたのだ。

 

 階段の境目から撮影させて貰ったので、本人たちは気付かなかったと思うが、断りを入れ意識すると、まずは写らない。プロフィールも個人情報であるから、最大限に留意するが、なるべく撮影を許して頂きたいと思う。

 仮に「これは私ですが」と申し出られれば、「助言」をお返ししようと思う。

 

 最初の男性は、左肩に煙玉が乗っている。これはガラス映像ではなく、実写で写ったものだから、よほど「撮影環境が良かった」ということになる。

 煙玉の中には、口を大きく開き、何かを叫んでいるような男の顔(の一部)が見えているから、「説明のつかない煙玉」と見て、差し支えないだろうと思う。

 「何故」「どうして」に当たる情報は、この一枚だけでは分からない。

 それを探る道筋は、この時点での男性の「気の持ちよう」だ。もし何か特別な願いごとがあって参拝に来たのなら、おそらくその内容と関係している。

 ガラス映像の方は、何となく「何かが見える」のだが、確たるものは無い。

 

 次の夫婦も男性の方に異変が出ている。

 男性の表情がガラスに映っているが、左側に男性のものではない顔があるように見受けられる。ここにガラスの継ぎ目は無いから、男性の姿が二重に映ったものではない。

 左半分だけの顔は子どものように見える。輪郭は朧げなのだが、左目が開いている。

 なお、今回初めて気付いたが、男性のマスクの中央付近にも右眼が開いていた。

 割合、幽霊を集めやすい人なのかもしれぬ。

 

 なお、男性の右側にも「何か」が隠れていると思われるが、画像が切れている。

 姿を隠そうとしているきらいもあるが、そういうのは、あまりよいものではない。

 しかし、心持ちを少し変えるだけで、しがみ付かれずに済むので、こういう状況になっても過度の心配は不要だ。

 

 身辺にぞろぞろと煙玉が写ろうが、幽霊に抱き付いて来られようが、それほど案じることはない。何故なら、「それが各人に当たり前」の状況だからだ。

 怒りを覚えれば、同じように怒っている者を引き寄せる。邪な欲望を抱いていれば、同じように欲望に執着するものを引き寄せる。

 大事なのは、「そういう心境に陥ってはダメ」ということではない。生きていれば理不尽な目に遭うことは限り無く生じる。

 だが、怒りや憎しみ、悲しみを乗り越えようとする気持ちを持つことが大切だ。

 そうすれば、どんなに悪縁がけしかけようが、ひとの心は揺るがない。

 しくじったら幾度でもやり直せばいいし、「死」は「終わり」では無いから、幾らでも立ち直りが利く。