日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ようやく今の自分の置かれた状況が見える

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◎ようやく今の自分の置かれた状況が見える

 エレベーターに乗ると、タイミングにもよるが、モニターに「四文字熟語クイズ」が映る。

 この日は慌ててスマホで撮影したのだが、これを保存すべく、PCにコピーすると、別の画像を引き連れて来た。

 つい見てしまうわけだが、幾つか発見があった。

 

 まずはエレベーター画像になる。

 今回、私の姿は晒せない。一人で乗ったのに、写っていたのは二人だ。あまり鮮明ではないのだが、いつも撮影しているので、紛れではないと分かる。

 右の金属はエレベーターのドアの脇にある戸袋だが、ぐねっとうねっている。エレベーター内がほぼ「箱」であることを考えると不自然だ。中ほどには左眼らしきものが出ている。

 私としては、最近になく「退いた」(「これが関わっていたか」と納得)。

 

 この画像と一緒にPCに移って来たのは、別の画像だ。

 母が亡くなる一年前に撮影したものだが、今回、画像が変わっていた。室内で撮影したものだが、左手に「丸い光」が写っている。母を思い出す度に眺めているが、これはこれまで気付かなかったものだ。

 「何か伝えたいものがあるのか」と思い、点検すると、これまでには見えなかった人影が出ている。

 まだ、不鮮明だが、これから徐々に識別しやすくなって行くと思う。

 カメラを構えた私の姿が最も不鮮明で、かつシルエットが女性のよう。ま、私はかつて女性だった時の記憶を幾つか持っているから、魂底には女性があるのかもしれん。

 この画像の異変は殆どの人に見えない。つい先ほどまで数年間、私も気付かなかったのだから当然だ。

 今回はカーテンを閉めた冬の室内に、「何故明るい光が出ているのか」と気付いたことがきっかけになった。そもそも、前はこの光は無かったのだ。

 煙玉の方なら、私が被写体になった時に時々写る。

 

 最後はオマケだ。これも最初の画像と一緒に移動して来た。

 夕食の時に、たまたまテレビを点けると、「妖怪」のことがテーマだった。

 昔話に出て来るような「子泣き爺」とか「砂かけ婆」がいるかどうかは不明だが、「妖怪」自体は存在している。

 時々、画像にも残るので一例を挙げて置く。

 この画像は、割と鮮明な方だが、妖怪や魑魅魍魎の類は、幽霊よりもさらに撮影が難しい被写体のようだ。タイミングが合わぬと、推測も利かなくなる。

 ちなみに、井上円了先生(師匠のつもりなので「先生」だ)は、総ての「妖怪」を否定しているわけではない。根拠を確かめようとせずに信じることを否定しているのだ。

 どうやっても説明のつかない現象は、確実に存在しており、そういう類のものを「真怪」と呼んでいる。

 

 さて、今の体調の悪さには、幾らか「あの世」系の障りが関わっているようだ。これから身辺を整え、治療が有効になるように改善する必要がある。

 それも、母の画像に生じた変化を見たことで気付いたわけだ。本当に母は有難い。

 何事にもいずれは終わりが来るから、今生の冒険が何時まで続くか分からぬが、最後まで努力を怠らぬようにしようと思う。

 

追記)前二つの画像については、見る相手を選ぶので、他の人にとっては「気のせい」「錯覚」に過ぎない。そもそも他の人には意味が無いということなので、それでOK。

 当人には同じ時に複数個所で「ちょっとした異変」が起きているので、「何らかの示唆」が見える。