日刊早坂ノボル新聞

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◎「蜘蛛の糸」の感覚

令和四年六月三日 居間にて撮影

◎「蜘蛛の糸」の感覚

 昨秋、心ならずも村社の敷地内に足を踏み入れた。ひとまずは礼を尽くしたつもりだったが、あまり相性が良くなかったようで、敷地から出る時に、頭から肩にかけて「蜘蛛の糸がかかったような感触」を覚えた。

 実際には蜘蛛の巣などはそこにはなく、あくまで「そんなような気がした」の類だった。

 だが、その後、はっきりとした「障り」が現れ、心身共に不調となり、人事もうまく行かなくなった。

 この状態は年明けの二月から四月にかけてがピークで、殆ど歩けぬところまで悪化した。

 思い当たるのは、あの村社での出来事で、あれ以降は身辺にも不審事が続いた。

 画像にも良からぬ影が時々写った。

 一時は「いよいよ自分の人生に終わりが近づいている」と自覚する程だったが、最近、わずかだがましな状態になった。もちろん、まだ終わってはいないことは自覚している。

 

 かたや、昨秋のあの出来事で、私はひとつの感覚を会得した模様だ。

 あの「蜘蛛の糸」の感触は、過去にもあったし、その後も似たような感触を覚えることがある。昨秋までは「気のせい」と思っていたわけだ。

 今はあれが「幽霊がひとに寄り付いた瞬間の感覚」だと思う。

 世間的に言えば、「ひとが幽霊に取り憑かれた瞬間の感覚」だ。

 ひとつの基準が出来ると、その前後の感触も近く出来るようになるようで、あの時よりはるかに弱くとも、何かしらの違和感を感じることがある。

 ま、たとえ不確かでも、そういう時には先んじて、防御の先手を打って置くに越したことはない。それが何かはどうでもよく、「障り」を事前に防げれば、それでよい。

 

 今日は家に一人でいたが、居間でテレビの前に座ると、ごくわずかに空気が動く気配を覚えたので、すぐにテレビを消し、画面を撮影した。こうすれば、振り向かずに後ろの様子を確かめることが出来る。

 背後には日光が差し込んでいるし、ガラスの反射画面だから、普通に撮影する時より光を絞り込むことが出来る。

 

 最近、「母のような人影が自分の傍にいる」と思っていたが、どうやら母ではなかったようだ。母よりもかなり小さく小人のサイズだ。

 あの世の一丁目には、幽霊とも妖怪ともつかぬ変なヤツがいるのだが、どうやらその類だったのかもしれぬ。

 ウェブ画像ではほとんど分からぬだろうが、手元の画像では顔の細部が垣間見られる。

 私の左肩の後ろはかなりキモイ性質のものなので、斯様に不鮮明で良かった。

 他の人は関りを持たぬ話なので、私だけが参考とすればよい事例だ。

 

 今後は画像を頼りとする必要はなく、「蜘蛛の糸」周辺の感覚を重視すれば事足りると思う。

 ちなみに、庭を出る時に、現実の蜘蛛が巣を張っていて、その糸に引っ掛かることがある。昨秋の経験があるので、ドキッとして思わず足が止まる。小さい後遺症だ。

 

追記)画像の中で、私の喉元が理由なく黒く変じているので、拡大して点検してみた。

 すると、私の喉には「眼」が開いていた。

 現在の病状は「呼吸が苦しい」ことが中心だから、なるほどと納得した。

 やはり、内部に入り込んでいたわけだ。これが確認出来るのであれば、それなりに打つ手はある。