日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎今日のあの世チェック 八月七日

◎今日のあの世チェック 八月七日

 このところ、若手医師の処方が拙く、左目から出血しこちらはほぼ「見えない」状態だ。自覚症状的には「薬の影響だけではないだろうな」と思っていたが、数日前に神社でセルフチェックをして、納得出来たところがあった。

 ガラスの自分自身を映してみた段階で、白衣の老婆が見えており、すぐに撮影したが、画像を開くことが出来なかった。画像自体は存在しており、デジカメの内部でなら一二枚確認出来る。だが、どうしてもPCに画像を移すことが出来ない。デジカメを直接PCに接続しても、画像を認識してくれない。

 こういうのは、「見られたくない」気持ちの表れで、要は「同化を図ろうとしている」こと。すなわち、私の心と魂の中に潜り込もうとしているという意味だ。

 こういう時には、このことをなるべく考えないようにして、だしぬけに撮影すると、案外簡単に正体を掴めたりする。

 そこで、スーパーの駐車場から店内に入る直前に、いきなりスマホを出し撮影した。

 視線を前に合わすことをせず、遠くに眼を向けたままだ。

 (そもそも今は焦点が合わぬので、ぼやっと眺めるしか出来ない。むしろ好都合。)

 

 体のあちこちに「触られている」感触があり、獲り憑いているのは疑いないのだが、手の感触だけでは、どういう奴なのかがよく分からない。

 話を早く済ませるには、正体を目視確認した方が素早く対応できる。

 

 先ほど画像を開いてみたが、概ね想像通りだった。

 私は「体感」を基に判断しており、画像だけではほとんど分からないと思う。

 見えぬものに説明を付けてもあまり意味が無いので、詳細は差し控える。

 これから一つひとつを外す作業があるわけでもある。

 

 子どもが増えているのは、ここがスーパーで母親の幽霊が来ることと、小学校勤務の家人が学校から連れ帰ることに関係していると思う。

 ここにはひとつ悪霊化した女が居て、誰彼なく心に悪意を吹き込んでいる。

 私に反応し、「俺たちの領域を侵すな」と叫んでいる。

 元は女だったが、幾つもが合体し、悪霊化することで男の振る舞いに近くなった。

 女だが自分(たち)のことを「俺」と呼ぶ。ここはリアルな話だ。

 

 私の後方十メートルのところには、白衣の女性が立ち、私を見守っている。

 私の後方で、ガラスには映らぬのが普通だが、こういう場合私の体を透過して、背後の景色が映る。前後に幽霊が沢山いると、波長が調和して姿が消えたりするが、ここでは私は透明になるまで至っていない。

 着物の女性は御堂観音でも、先日の老婆でもなさそうだが、私サイドだと思う。

 普通は姿を現さぬのだが、周囲に悪縁(霊)が多いので、監視してくれていたようだ。思いやりを感じる。

 

 一昨年から昨年の「稲荷眷属の障り」を経験したことで、様々な実践的知恵を習得した。最も助けになるのは、「幽霊が寄り付いた時の体感」で、初めは「蜘蛛の糸」一本が貼り付いた時の感触だった。

 この他にも様々なバリエーションがあるが、幽霊がひとの心に入り込もうとする時には、体のどこかにじっと手を当て、「ふうふう」と息を吹きかけるように自分の心情を吹き込んで来る。「苦怒哀欲」の心の波に同調すると、幽霊はひとの心の中に容易に入り込むことが出来るようになる。

 ちなみに、生きている人間が感じるのは「喜怒哀楽」だが、幽霊にあるのは「苦怒哀欲」だけだ。

 

追記)画像でも割と分かりよいのは、右手の薬指が関節とは逆方向に曲がっていることだ。指を折らない限りこうはならないが、これはすぐ下に居る老婆の幽霊の影響だ。

 もしガラス映像などで、自分にこの現象を発見したら、慌てず騒がずこう宣言すること。

 「もはや私はお前のことを見付けた」

 「お前はここに居場所がないから、すぐに立ち去れ」

 自他の境界線をしっかり引き、「聞く耳を持たぬ」ようにすることで、そのまま取り憑いてはいられなくなれる。自分本来の心は何かを常に問うこと。

 「怖れること」は「受け入れる」ことと同じ意味なので、怖れぬこと。(これには多少の習練がいる。)

 さらに自分の心を強く持つことで、悪縁(霊)は容易に近付けなくなる。慣れるまではお経や祝詞を唱えるのも結構だが、コツを覚えるとそんなものは不要になる。そもそもお経・祝詞は意味を理解することが重要で、護符の役には立たない。悪霊退散の真言はない。打ち勝てるのは「強い心」だけ。