日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎どこかで見た女(601)

f:id:seiichiconan:20210927095815j:plain
f:id:seiichiconan:20210927095803j:plain
f:id:seiichiconan:20210927095752j:plain
f:id:seiichiconan:20210927095739j:plain
f:id:seiichiconan:20210927095726j:plain
令和三年九月二十六日撮影

◎どこかで見た女(601)

 昨日の早朝に「あまり後味の良くない夢」を観たのだが、その夢の後半に出て来た「女」の顔をどこかで見たような気がする。

 このところ関わって来たのは、最近、病死したバーサンだ。なお外見は当人の自意識の有りようによって変化するから、バーサンの時に死んでも、幽霊は少女だったりする。

 私の場合は、自意識は三十二歳くらいの時のままだから、夢の中の「私」はいつもそれくらいだし、きっと死んだ後もその姿だと思う。

 このところ、状況があまり芳しくなく、「体調は悪いわ、細かな異変が起きるわ」だから、この日の内に神社に行くことにした。

 女の抱えた爆弾に吹き飛ばされてはいられんし、別に祈願することもある。

 

 月末が近いので、まずは財布の算段を済ませた。この時点で三時を回っている。

 神社に向かうと、昼頃まで雨が降っていたせいか、参拝客は少なかった。

 曇天なので、ほとんど異変は確認できないと見て、神殿では自身の祈願を述べた。

 なお、自分自身のことではなく、人事に関わることでもない。

 

 帰宅してから画像を点検した。

 当初、神殿の前に着くと、私の前に参拝客が四人いたのだが、画像には一人余計に写っていた。

 ガラス窓の映像だから、なかなか気付き難い。

 また、さりげなく身を隠そうとすることが多く、左側の男性の肩付近に、額から上だけが出ている。

 髪の毛の生え際などがはっきり出ているので、見間違いではなさそう。

 

 ちなみに、「神域に獣を入れるな」と時々書くが、禁則を破る女性の後ろには、「良からぬ者」が続いている。左側と中央がいわゆる「通り道」なのだが、中央のルートを犬が邪魔している。

 なお、嫌がっているので姿がほとんど見えないのだが、空間が歪んでいる。

 犬の方にも圧力がかかると見え、女性が「何だか(犬が)震えている」と言っていた。

 お互いに嫌いなわけなので当たり前だ。

 知らなくとも、罰があるのが、あの世のルールだ。神域はペットの散歩道ではないくらいの心得を持つこと。獣は駐車場まで。

 

 「女」はおそらく私に関連する者だと思う。これまでに、外で幾度か見ているようだ。

 髪の生え際に見覚えがある。

 さては、このところ階段の灯りを消したり、物を落としたりしていたのは、霊安室から上がって来たバーサンではなく、こっちの「女」だったか。

 画像が何百枚もあるので、該当する「女」の画像がどこにあるのかが探せない。

 宿谷の滝から鎌北湖にかけての一帯だろうと思う。

 いずれも当初は、物凄く「気色悪い」場所だったが、二年くらい経つ間にきれいになった。

 幽界のさらに先に「去った」のかと考えていたが、私の周囲にたむろしていたのかもしれん。

 

 そういうのは別に構わない。 

 自分の後ろを「数十万の亡者がついて来る」という夢を、これまで何百回も観て来ている。

 死んだ後は必ず同じことが起きるだろうし、私の方ももはやそのつもりでいる。

 生きている間はごく普通の男だったが、死ねば直ちに「渡し守」になる。そう約束したので、幾らかボーナスを貰えている。

 その代わりに、生きているうちに「返す」ものも当然ある。この日の祈願はそれに関係したものだ。

 やはり、この世にもあの世にもタダのものは存在しない。ツケを作れば、必ずいつか払う必要がある。

 

 「額の女」はこの手のものとしては割と分かりよいが、まだ存在が見えぬ・感じられぬ人もいると思う。

 案じるな。そして疑うな。死は魂の終わりを意味するものではない。

 今年はこれから鮮明なのがどんどん出て来る。

 あの世があると納得したら、すぐに生き方を変えることだ。

 まだ間に合うし、これまで抱えて来た幾つかの困難が、さあっと雲散霧消するかもしれん。

f:id:seiichiconan:20210927095919j:plain
f:id:seiichiconan:20210927095905j:plain
f:id:seiichiconan:20210927095853j:plain
ここ数年内に同じ女を見ているが、まだ特定出来ない。