◎どこかで見た女(601)
昨日の早朝に「あまり後味の良くない夢」を観たのだが、その夢の後半に出て来た「女」の顔をどこかで見たような気がする。
このところ関わって来たのは、最近、病死したバーサンだ。なお外見は当人の自意識の有りようによって変化するから、バーサンの時に死んでも、幽霊は少女だったりする。
私の場合は、自意識は三十二歳くらいの時のままだから、夢の中の「私」はいつもそれくらいだし、きっと死んだ後もその姿だと思う。
このところ、状況があまり芳しくなく、「体調は悪いわ、細かな異変が起きるわ」だから、この日の内に神社に行くことにした。
女の抱えた爆弾に吹き飛ばされてはいられんし、別に祈願することもある。
月末が近いので、まずは財布の算段を済ませた。この時点で三時を回っている。
神社に向かうと、昼頃まで雨が降っていたせいか、参拝客は少なかった。
曇天なので、ほとんど異変は確認できないと見て、神殿では自身の祈願を述べた。
なお、自分自身のことではなく、人事に関わることでもない。
帰宅してから画像を点検した。
当初、神殿の前に着くと、私の前に参拝客が四人いたのだが、画像には一人余計に写っていた。
ガラス窓の映像だから、なかなか気付き難い。
また、さりげなく身を隠そうとすることが多く、左側の男性の肩付近に、額から上だけが出ている。
髪の毛の生え際などがはっきり出ているので、見間違いではなさそう。
ちなみに、「神域に獣を入れるな」と時々書くが、禁則を破る女性の後ろには、「良からぬ者」が続いている。左側と中央がいわゆる「通り道」なのだが、中央のルートを犬が邪魔している。
なお、嫌がっているので姿がほとんど見えないのだが、空間が歪んでいる。
犬の方にも圧力がかかると見え、女性が「何だか(犬が)震えている」と言っていた。
お互いに嫌いなわけなので当たり前だ。
知らなくとも、罰があるのが、あの世のルールだ。神域はペットの散歩道ではないくらいの心得を持つこと。獣は駐車場まで。
「女」はおそらく私に関連する者だと思う。これまでに、外で幾度か見ているようだ。
髪の生え際に見覚えがある。
さては、このところ階段の灯りを消したり、物を落としたりしていたのは、霊安室から上がって来たバーサンではなく、こっちの「女」だったか。
画像が何百枚もあるので、該当する「女」の画像がどこにあるのかが探せない。
宿谷の滝から鎌北湖にかけての一帯だろうと思う。
いずれも当初は、物凄く「気色悪い」場所だったが、二年くらい経つ間にきれいになった。
幽界のさらに先に「去った」のかと考えていたが、私の周囲にたむろしていたのかもしれん。
そういうのは別に構わない。
自分の後ろを「数十万の亡者がついて来る」という夢を、これまで何百回も観て来ている。
死んだ後は必ず同じことが起きるだろうし、私の方ももはやそのつもりでいる。
生きている間はごく普通の男だったが、死ねば直ちに「渡し守」になる。そう約束したので、幾らかボーナスを貰えている。
その代わりに、生きているうちに「返す」ものも当然ある。この日の祈願はそれに関係したものだ。
やはり、この世にもあの世にもタダのものは存在しない。ツケを作れば、必ずいつか払う必要がある。
「額の女」はこの手のものとしては割と分かりよいが、まだ存在が見えぬ・感じられぬ人もいると思う。
案じるな。そして疑うな。死は魂の終わりを意味するものではない。
今年はこれから鮮明なのがどんどん出て来る。
あの世があると納得したら、すぐに生き方を変えることだ。
まだ間に合うし、これまで抱えて来た幾つかの困難が、さあっと雲散霧消するかもしれん。