





◎危機の自覚(602)
二十七日は当月の支払日だ。
金融機関に行くために、家を出ようとすると、この日休みの家人が声を掛けて来た。
「たまには別の神社に行きなさいよ」
「え?」
「いつも同じ神社でなく別のところに行けば、運気が変わるよ」
家人はてっきりダンナがまた神社に参拝に行くのかと思ったようだ。
「今日は支払いだよ」
「でも、別の神社にね」
全然、信用していないようだ。コロナ二年目は青息吐息で、年を越せるかどうか分からんのに。
先月、金融機関のCD期の前に並んでいたら、なかなか順番が来ない。
前を覗くと、若い女性が機械の前であれやこれやとやっている。OL風の女性だったが、カードを四五枚も並べ、あっちのをこっちに、こっちのをあっちにとお金を動かしているらしい。
「ははあん。クレジットとかカードローンとかをやりくりしているわけだ」
こんな状況なら、あちこちでお金が詰まっているだろうと思う。お金を貸す方だって楽じゃなさそう。
それからわずかひと月だが、今月は私もピンチだ。
今や通常の売り上げ入金日から「二週間遅れ」が当たり前になっている。ところが、今月は二週間遅れの日でもお金が入っていなかった。さすがに半月以上遅れると、こちらも払えなくなってしまう。
そうなると、先月のOLみたいなやりくりが必要になるかもしれん。
「遅れならまだしも、まさか倒産しちゃったりしないだろうな」
今月分の他に、来月分のを預けたままだ。二か月の売り上げがパアになれば、私も完全にアウトだ。
冷や汗が出る。
おかげで、今月の支払いの中で、幾つかが一週間くらい遅れてしまう。あるいは十日?
イライラしながら移動していると、いつもの神社の近くに来た。
「昨日来たばかりだし、今日はまだ忙しいが・・・」
三百㍍しか離れていないので、神社に寄ってから移動することにした。
「そう言えば、女房が『今日も行くのか?』と呆れていたな」
結局、この日も来てるわけだ(笑)。
だが、六年で六百回参拝しているから、ごく小さな異変もそれと分かる。
「そんな風に見える」という印象だけでなく、実際に背後に何があるかを熟知しているから、紛れなのかそうでないのかは瞬時に判断出来る。
画像だけを見てものを言うのとは違う。画像の印象を語ることには何の意味もない。足を運んで直に見て、生の声を聞いて初めて理解に近づく。
そもそも「気もそぞろ」な上に、この日も曇天だったせいか、画像の中の異変ははっきりしなかった
背後から顔を少し出したり、とか、手が伸びて来ていたり、といった疑いのあるものはあったが、判然としない。
もちろん、そういう時点からきちんと警戒し、寄り付かれ難くする手立てを打つことが大切だ。
「取り越し苦労」なら笑って済ませられるが、お迎えが来ているのにそれと気付かないでいたら、あっさり召喚されてしまう。
家人は「別の神社に行けば、運気が良くなるかもしれないよ」と言うが、これまでに「末期がん患者が、気付いてみれば寛解していた」に相当するくらいの改善は得ている。
何せ、とっくの昔に死んでいる筈なのに、今も生きている上に、普通に立って歩いている。
それに、いつもの神社に加えて、他の神社やお寺にも参拝参詣している。自分自身に関わる現世利益の願いごとをしないから、運気を損ねることもない。総ては「本人の努力」の成果で説明できる。
ま、人事で言えば、私は既にかなりヤバい(大笑)。それでも、やれるように前に進むしかないわけで。