◎病棟日誌 悲喜交々4/9 「食べるのが基本」
治療の後で食堂に行くと、「お茶屋のオバサン」が座っていた。
簡単な挨拶をしたが、オバサンの表情が暗い。
「まだあまり調子が良く無いのだな」と思いつつ、自分の席を見付けてそこに座る。
ほんの数分後にオバサンが去り、介護士のバーサンがトレイを片付けに来た。
「あれ。トダさんは全然食べられていないな。これじゃあ、1にも届かない」
バーサンは患者ごとに「どれくらい食べたか」を記録しているのだが、10段階で評価する。それが「1にも満たない」のでは、「手を付けていない」のと同じことだ。
これは二年半前の私と同じ状態だ。
うっかり苦手な稲荷の神域に入り込んで、障りを得た。
それから半年以上、その障りに苦しめられたが、食事がまったく喉を通らず、十二キロ痩せた。心臓に水が溜まり、肺水腫になったから、横になって眠ることが出来なくなった。椅子に座ったままほんの少し目を瞑る状態で、寝ても覚めても常に酸素を吸っていた。
これで食べられるわけがない。
ここで気が付く。
「あの人は老いた親と一緒に暮らしている」
ダンナはそもそもいなかったか、あるいは早くに死別した。
自身も障害者だが、家に帰ると、手が掛かる年寄りが待っている。
もちろん、これも勝手な憶測だが、こういう感じの直感は外れたことが無い。
「だが、もしかすると、家に居るのは老いた親ではないのかもしれん」
私に起きたことがトダさんに起きているかもしれん。
そこで次に会った時に実際に確かめてみることにした。
「年寄りの影」は、実際には存在しない者かもしれんが、それならその影響を排除すれば、食事を摂れるようになる。
これは私の経過と同じ。
とりあえず、次はお茶屋のオバサンと傍の席に座ることにした。傍から見れば、少し変な風に見えるかもしれんが、このまま放置すれば長く持たないと思う。
他人の生き死にに関わるつもりは毛頭ないが、ほんのちょっとした変化を加えることで死なずに済む場合もある。
一方、「お茶屋のオジサン」の方は姿を消した。
このところ、急速に弱っている感じがあったが、入院病棟に入ったか。この人は車椅子に乗るようになり、一年もったが、それだけ長く耐えられたのは、「食事をきちんと摂る」からだと思う。食べるスピードは遅いが、出された食事をきちんと全部食べていた。病院めしも、一時間かけて、ゆくうりと全部食べた。
それを見ていたので、「このオジサンを見習って、これも仕事だと思って残さずに食べよう」と思うようになった。
今日はたまたまだが、「お茶屋のオバサン」がトダさんという名だと分かった。この病棟は交差点と同じで、いちいち通る人の名前を確かめたりしないところだ。