◎病棟日誌 悲喜交々4/11「愛嬌は己を救う」
朝の計量は介護士のバーサン。
「鶴岡雅義です」
「知ってる。それは歌手」
「サービス問題ですよ」
昭和四十年代にテレビを観ている世代なら、ほぼ百%憶えている。思い出の名前には、易しいのと難しいのを取り混ぜるようにしているが、そうしないと脳のマッサージにならない。
だが、このバーサンも、ただのバーサンではなく旅行好きだ。一人でドイツとかトルコとかに行っていたらしい。電車が好きで一日中乗っていても平気なそうだ。
問診はユキコさん担当だった。
「何か変化がありますか」
「別に障害者なりに調子は良いです。気が付いたら髭が真っ白になってたけど」
今朝気が付いたが、顎髭が全部白かった。ま、血流に問題があるわけだから、毛髪への影響はある。
「もはや急速にジーサン化してますね」
すると、「白髪」の話が響いたのか、ユキコさんが反応した。
「下の毛にも白髪が混じってたりしますね。トシを感じます」
ユキコさんは五十台でオバサンの域だが、「下の毛」の話はちょっとどんなもんだろ。そこの白髪の話になると、到底セクシーじゃねえし。
うーん。
治療が終わり、食堂に行ったが、お茶屋のトダさんは来なかった。
前回の顔色が悪かったから、あるいは入院病棟に戻ったか。
食が細い時の裏技として「ぬるい蕎麦」を教えようと思ったのだが、この日は伝えられず。
我々クラスの患者になると、ソーメンは既にダメで、温かい蕎麦も冷たい蕎麦も食べる気にならない。だが、わんこ蕎麦くらいの「温い蕎麦を少量」なら食べられる。少しでも食べると、血糖値の上下向が起き、これのせいで空腹感を覚える。で、次の食事が食べられる。食は食欲を増進するが、反対に食わないでいると一層食べたくなくなる。
今のトダさんは二年半前の私と同じ状態だ。すなわち生死を分かつ危機に立っている。
問題は「料理をすると食べたくなくなる」ことだ。少しでも食べようと料理を始めるが、途中で嫌になり止めてしまう。
ここは出汁を作り置きし、蕎麦は冷凍してあるのを使い、食べる直前で解凍し、ぬるくなるまで温めるしかない。
母が亡くなる直前には、「どうやったら食べて貰えるか」と料理に苦心した。その時の気持ちが残っているから、同じ症状の人を見ると放っては置くぬ気持ちになる。
ま、それもその人が気立ての良い人だからという面が大きい。
娘はいつも仏頂面をしている。苦痛を経験したから仕方がないが、やはり「生きていくために、いつもニコニコしていろ」と言う。いずれそれが伝わる日が来ればよいのだが。