日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎光が干渉される(604)

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令和三年十月六日撮影

◎光が干渉される(604)

 このところ、「背後に何者かが寄り添っている」という感覚がある。

 また、自宅の階段の灯りが途中で消えたり、誰もいない部屋や廊下で物音が響くなど、気配がすこぶる悪い。

 体調が悪いこともあり、火曜日はフルコースで検査を受けた。

 この日は、朝から歯科医に行ったのだが、割合早く終わったので、お寺に行き、そこからまた神社に参拝することにした。

 

 結論を先に書くと、背後の気配が何であるかという問いへの答えがばっちりと出たわけではないが、「あの世」的異変の起きる兆候については、幾らか分かりよい素材が得られたと思う。

 

 何気ない景色の中にも、理屈に合わぬ異変が含まれている。

 普段は気に留めず、スルーしている筈だが、よく考えると有り得ぬのだ。

 

 最も分かりよいのは、掲示最後の画像だろう。

 いずれも神殿正面のガラス戸を撮影したものだが、最右と二番目のガラスの継ぎ目付近に、背後の景色が映っている。

 左画像では、建物の屋根が映っているわけだが、右側の白い雲のようなものは、実は同じ屋根だ。

 曲がっているところを見ると、光の「当たり方」ではなく「進み方」が違うので、こんな風に見えるということ。

 困ったことに、左図では屋根の後ろに樹があるのに、右図では樹は屋根の前にある。

 写り方自体が不自然なので、ここは追検証が必要なようだ。

 

 画像は基本的に撮影順に並んでいるわけだが、初めから三枚目のように、景色事態がぐねぐねと曲がったり、「(幽界の)霧」や「煙玉」が出たり、「稲妻または電線状の光や煙」などが現れた後に、大きくデフォルメされるようだ。 

 いつも同じ地点から撮影するので、何がどう見えるかについては承知しているつもりだが、次は、私の撮影位置(定点)から、別の人が撮影したらどう写るかを確かめる必要があるようだ。

 

 ちなみに、やはり私の後ろには、まるで隊列のように「何か」もしくは「誰か」がつき従っていると思う。だが、これは「私に関わる者」であって、他の者には関係がない。

 子どもの頃から、幾度となく「数十万の亡者が後ろをついて来る」夢を観て来たのだが、何かしら、無意識のうちにそれと悟っていたのかもしれぬ。

 現実に体調が著しく悪化しているので、「(この世にいることの)進退伺い」が必要な状況のようだ。

 

 いずれにせよ、お寺と神社の両方に参詣・参拝してみると、つい昨日までの絶望感が小さくなっていた。解決には程遠いが、前向きには転じている。

 まだあやふやな点が多いが、今年の秋は、きちんと証拠らしい証拠を出すところまで行こうと思う。

 正直、かなり具合が悪く、心臓が時々しゃっくりを起こすような毎日だから、「あの世」を解明する前に心停止する可能性があるが、ま、死は終わりを意味するものではないからどうにかなる。あるいはなるようになる。