◎ご供養に行く
水曜は朝から歯科医に行ったのだが、割合早く終わったので、その足でご供養に行くことにした。
背後にゾロゾロと連れて歩いていることは、気配で分かる。
こちら側への線を踏み越えているので、まずはご供養をし、それでも船外に出ないようなら、お祓いをすることにした。
ま、既に昨夜から「ご神刀斬り」は始めている。
少なくとも、電灯を消したり、どたどたと足音を立てたりしても、私はそっちの思う通りにはならないと示す必要はある。
どのお寺に参詣するか思案したが、「座る場所がある」という条件から、聖天院にした。
参拝客がお焼香を自由に出来るのもよい。
だが、雷門を潜ったところで足が止まった。
「ダメだ。登れない」
階段が急で、四十度くらいの傾斜がある。おまけに、最初が五十段、二番目が百数十段だ。今の私の心臓なら、最初の五十段の途中で往生する。
しかし、左右を見ると、六地蔵が並んでおり、焼香が出来るようになっていた。
お線香など焼香用具なら常に車に積んである。
この六地蔵は「六道救済」のための地蔵菩薩だ。人が死ぬと、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道に進んで行くが、どの世界にも、仏は救いの手を差し伸べてくれる。すなわち六地蔵は「六道救済」のための地蔵菩薩だ。地蔵菩薩が六つの世界へ赴くために姿を変えたもので、死者が良い世界に生まれ変わることを願って建てられる。六道への対応関係は以下の通り。
天道…日光地蔵
人道…除蓋障(じょがいしょう)地蔵
修羅道…持地(じじ)地蔵
畜生道…宝印地蔵
餓鬼道…宝珠地蔵
地獄道…檀陀(だんだ)地蔵
さて、地蔵さまの前でお焼香をして、少し左側に行くと、馬頭観音の石碑があった。
馬頭観音は、怒りに満ちた馬の像を表すが、人差し指と薬指を折り、他の指を立てる「馬口印」と呼ばれる印相を結ぶ。頭上には馬が表現され、この馬が「煩悩を食べ尽くし、打ち砕く」と考えられている。
「それなら、今の俺にぴったりじゃないか」
ここでも手を合わせた。
この次は、後ろについて来ている者たちに告げる番になる。
「他の誰が目に留めずとも、私には分かるから、これこの通り、お前たちを慰めるように努める。繰り返しご供養するから、いずれは執着を解くとよい」
もちろん、これには続きがある。
「だが、一線を越えて、生ける者に手を出したり、災いをもたらしたりするのであれば、切り捨てるので、自分の居るべき領域を出ぬようにしなさい」
慰めても分からぬ者には、お仕置きが待っているということだ。
「どっちが良いか、よく考えてみよう」
線香が燻っている間、境内で過ごした。
その間、階段ではなく、スロープから降りて来る人たちがいたから、なだらかに上り下り出来る道があるのかもしれぬ。確かに正面の急階段はお年寄りや病人にはちと無理だ。
だが、そのすぐ後に七十台くらいの老夫婦が階段を降りて来た。
「俺はあの夫婦よりも体が弱っているらしい」
少しがっくりするが、ま、年齢ではなく状態が問題ということだ。