日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ご供養に行く

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令和三年十月六日、日高聖天院にて撮影。

◎ご供養に行く

 水曜は朝から歯科医に行ったのだが、割合早く終わったので、その足でご供養に行くことにした。

 背後にゾロゾロと連れて歩いていることは、気配で分かる。

 こちら側への線を踏み越えているので、まずはご供養をし、それでも船外に出ないようなら、お祓いをすることにした。

 ま、既に昨夜から「ご神刀斬り」は始めている。

 少なくとも、電灯を消したり、どたどたと足音を立てたりしても、私はそっちの思う通りにはならないと示す必要はある。

 

 どのお寺に参詣するか思案したが、「座る場所がある」という条件から、聖天院にした。

 参拝客がお焼香を自由に出来るのもよい。

 だが、雷門を潜ったところで足が止まった。

 「ダメだ。登れない」

 階段が急で、四十度くらいの傾斜がある。おまけに、最初が五十段、二番目が百数十段だ。今の私の心臓なら、最初の五十段の途中で往生する。

 

 しかし、左右を見ると、六地蔵が並んでおり、焼香が出来るようになっていた。

 お線香など焼香用具なら常に車に積んである。

 

 この六地蔵は「六道救済」のための地蔵菩薩だ。人が死ぬと、天道、人間道、修羅道畜生道、餓鬼道、地獄道に進んで行くが、どの世界にも、仏は救いの手を差し伸べてくれる。すなわち六地蔵は「六道救済」のための地蔵菩薩だ。地蔵菩薩が六つの世界へ赴くために姿を変えたもので、死者が良い世界に生まれ変わることを願って建てられる。六道への対応関係は以下の通り。

 天道…日光地蔵

 人道…除蓋障(じょがいしょう)地蔵

 修羅道…持地(じじ)地蔵

 畜生道…宝印地蔵

 餓鬼道…宝珠地蔵

 地獄道…檀陀(だんだ)地蔵

 

 さて、地蔵さまの前でお焼香をして、少し左側に行くと、馬頭観音の石碑があった。

 馬頭観音は、怒りに満ちた馬の像を表すが、人差し指と薬指を折り、他の指を立てる「馬口印」と呼ばれる印相を結ぶ。頭上には馬が表現され、この馬が「煩悩を食べ尽くし、打ち砕く」と考えられている。

 「それなら、今の俺にぴったりじゃないか」

 ここでも手を合わせた。

 

 この次は、後ろについて来ている者たちに告げる番になる。

 「他の誰が目に留めずとも、私には分かるから、これこの通り、お前たちを慰めるように努める。繰り返しご供養するから、いずれは執着を解くとよい」

 もちろん、これには続きがある。

 「だが、一線を越えて、生ける者に手を出したり、災いをもたらしたりするのであれば、切り捨てるので、自分の居るべき領域を出ぬようにしなさい」

 慰めても分からぬ者には、お仕置きが待っているということだ。

 「どっちが良いか、よく考えてみよう」

 

 線香が燻っている間、境内で過ごした。

 その間、階段ではなく、スロープから降りて来る人たちがいたから、なだらかに上り下り出来る道があるのかもしれぬ。確かに正面の急階段はお年寄りや病人にはちと無理だ。

 だが、そのすぐ後に七十台くらいの老夫婦が階段を降りて来た。

 「俺はあの夫婦よりも体が弱っているらしい」

 少しがっくりするが、ま、年齢ではなく状態が問題ということだ。