◎そして観音寺へ(前記事の続き)
「今日やろうと思ったことはなるべく今日のうちに」とよく言うが、普通の者にとって「出来やしないこと」の代表事例だ。
病気を抱える前までは、私もそう。試験対策などぎりぎりまでやらない。
だがさすがに今は違う。
明日はたぶん生きているだろうし、明後日もまあ生きている。だがひと月後は分からない。急に具合が悪くなり、「もはやここまで」と思うことがあるためだ。
「今日の内」はともかく、「やろう」と思ったら、数日に終えねば出来なくなってしまう。
そこで、昨日、宿題に残した「観音寺の六地蔵の前でお焼香をすること」を実行することにした。
平日なら条件が違い、きっと駐車場にも入れる。
先に能仁寺にお参りをし、そこから観音寺に向かった。
さすがに疲れたので、詳細は書かぬが、首尾よく六地蔵の前でお焼香が出来た。
六地蔵は、通常、お墓の前に安置されているが、墓地の中は静寂でよい。
「ここにベッドを置いて寝たら、きっとゆっくり眠れる」と思う。
きちんとご供養をしている墓地では、何も異変が起きぬから、私などはゆっくり休める。
死者が進むべき道は六つで、これが六道だ。
その六つの道に入れぬ者が所謂「六道無し(ろくでなし)」なのだが、ろくでなしの最たる者が幽霊だ。
幽霊は死してもなお、生者と死者の中間の世界である「幽界」に留まり、自我を存続させようと足掻いている。「自我を存続させる」とは、要するに現状のまま生き残ろうとすることだ。
そして、生き残ることに執着し、悪縁(霊)化してしまう。
ひとつ間違うと、私も悪縁の仲間入りだろうから、せめて六道の端っこに入れて欲しいものだ。